第6次対仏大同盟【ナポレオン帝国の崩壊】
こうしてナポレオンのロシア遠征は完全な失敗に終わり、これを見たイギリスは第6次対仏大同盟を結成。兵士のほとんどを餓死させたフランスを一気に攻めにかかります。ナポレオンの強さはなんといってもあの精強な大陸軍によって支えられたこともあり、大陸軍を失ってしまったここからナポレオンは連戦連敗。『諸国民の戦争』とも呼ばれたライプツィヒの戦いでナポレオンは連合軍に完敗してしまい、その勢いのまま連合軍はパリに入城。ナポレオンは無理矢理退位させられてしまい地中海に浮かぶエルバ島に流されてしまいました。
ワーテルローの戦い【百日天下】
ナポレオンが退位した後、フランスではかつて支配していた王朝であるブルボン家が再び返り咲いてルイ18世が王政復古を成し遂げます。しかし、フランス革命の成果が台無しになるかもしれないこの事実をフランス国民が受け入れるはずもなく、またナポレオン失脚後のヨーロッパについて話し合われたウィーン会議では舞踏会は盛り上がるものの、会議は全く進展しなかったことから『会議は踊る。されど進まず』と皮肉られたりもしていました。
これを見てエルバ島に流されていたナポレオンは最後の賭けに打って出ます。ナポレオンは密かにエルバ島を脱出。パリに帰って国民からの熱烈な支持のもとに皇帝に返り咲きました。しかし、この動きを連合国が見逃すはずもなく、再び戦争にもつれ込みます。
連合軍はナポレオン率いるフランス軍とベルギーのワーテルローの地で激突。最初の方はフランス軍優勢に思われていたのですが、後半に入ってプロイセン軍が参戦すると状況は逆転。フランス軍は完敗し、再びパリは占領されました。
ナポレオンはエルバ島から脱出してから95日目にして退位。イギリスに降伏して南太平洋の小島であるセントヘレナ島に流刑され、ナポレオンの活躍はここに幕を閉じたのでした。
ナポレオンがヨーロッパを変えた
ナポレオンは残念ながらその後セントヘレナ島で生涯を終えることになりますが、彼がヨーロッパにもたらしたものは多く、特にフランス革命の成果の拡散と民族意識の芽生えはのちのヨーロッパの歴史に大きく関わっていくことになります。
ナポレオンが築き上げたものはフランスだけではなく、ヨーロッパ全土の歴史を大きく変えるほど偉大だったのでした。