戦線を拡大しすぎたこと
太平洋戦争の目的自体が、アメリカに大打撃を与えた上で有利な講和に持っていく。というものでしたから、真珠湾攻撃はまさにその目的を完全に達したものといえるでしょう。日本側の指導者の中にもアメリカの国力の底力を知っている人間も多くいたでしょうから、何としてでも戦争を有利に進めて短期間のうちに和平交渉を始めたいはずだったのです。
しかし日本が取った行動はまさに真逆。アメリカと直接関係のないインド方面を攻撃したり、ニューギニアを占領したり。まるで膨らんだ風船のように戦線を拡大させ、ただでさえ多くない戦力を分散させてしまいました。攻勢限界点と呼びますが、兵力の不足する国が無理をして作戦地域を拡大すると、ある程度のところで攻勢は止まってしまいます。それが日本の置かれた状態なのでした。
逆に反撃するアメリカ側は、敵の弱いところを狙って好きなところを攻撃できるのです。日本側は「奪い返されてなるものか」と、なけなしの艦隊を送り込みますが、そのたびに優勢なアメリカ艦隊に撃退されて戦力を減らしていきました。
短期決戦のはずが、長期戦に巻き込まれたこと。それが敗因の一つです。
ロジスティクスを軽視しすぎたこと
日本は太平洋戦争中にフィリピンやニューギニアなど大きな島以外にも、海に浮かぶ多くの島々を占領していました。軍艦や船が停泊できる港のある島や、飛行場を設置して拠点化した島など、その数は膨大な数に及びました。もちろんそれらの島々に補給のために輸送船を送らねばなりませんが、実は日本には輸送(ロジスティクス)の概念が欠乏していたのです。
当時、それらの輸送を担っていたのは主に民間の徴用船。後に戦時標準船も加わりますが、日本海軍ももちろん護衛艦は随伴させてはいました。しかし護衛艦といっても海防艦や駆潜艇といった小型艦艇ばかり。空襲や潜水艦の襲撃があれば、とても太刀打ちできない非力なものでした。そうするうちに輸送船団はまさに格好の餌食となって海の藻屑となっていったのです。
輸送船が次々に沈められれば味方に食糧すら送ることはできません。そうして日本軍は敵と戦う前から飢餓に苦しむことになったのでした。
いっぽうアメリカの護衛艦隊は、商船を改造した護衛空母を多数揃え、対潜水艦対策としてソナーや対潜兵器の改良や充実に勤しんでいたのです。ロジスティクスを重要とするかしないか?その差ははっきりとしていたのでした。
戦術や兵器開発技術の差
太平洋戦争初期に無類の強さを誇ったゼロ戦。アメリカ海軍は鹵獲したゼロ戦を徹底的に解明して次期主力戦闘機グラマンF6Fを開発したことは有名な話ですが、それ以外にもアメリカ軍は次々に技術的革新を継続させていきました。
マリアナ沖海戦では間に合わなかったが沖縄で特攻機への攻撃で威力を発揮した近接信管(マジックヒューズ)。
そして優秀なレーダー。日本海軍の信頼に欠けるそれとは異なり、航空管制技術の向上と共に日本軍機の接近を事前に探知。大きな戦果を挙げました。
優秀なダメージコントロール。アメリカ海軍の艦はエンジンと缶室を分離させて爆発を防いだことと、消火設備が充実していたこと。だから沈没しにくくなっていたのです。
また、戦術的にも濃密な輪形陣を敷いて火力を充実させ、接近してくる日本軍機に対して効果的な防空弾幕を張ることができました。
潜水艦による戦術も然り。日本海軍の潜水艦は、ひたすら戦果を求めて戦艦や空母ばかりを狙っていたのに対し、アメリカ海軍の潜水艦は日本側のロジスティクスの破壊を狙って輸送船や商船を主に標的としていました。それによって日本の輸送力は急速に低下していくのでした。
艦船の補充ができなかったこと
太平洋戦争後期ともなると日本側艦船の被害は増大し、艦隊の序列を組み替えざるを得ないほどになりました。しかし日本側も失った艦船の損失分を必死の努力で埋めようとしていたことも事実で、戦争中には次々と新造艦が就役していたのです。
商船を改造した小型空母や、護衛任務に特化した駆逐艦など戦列には加わっていくものの、それでも就役数が沈没数に追い付かないと状況となっていました。それは輸送船にしても同様で、資材節約のためについにはコンクリート製の船まで建造する有様でした。
日本の建造能力の限界まで頑張っても失った艦船の補充ができない。その状況はまさに日本が敗戦の道へと進んでいく象徴だったのです。
連合艦隊の終焉
押し寄せるアメリカ軍の攻勢に守勢一方の日本海軍。いよいよ連合艦隊の栄光の歴史にも終焉の時がやってきました。太平洋戦争最後の海の戦いを見ていきましょう。
最後の大海戦となったレイテ沖海戦
昭和19年10月、日本本土を目指すアメリカ軍はフィリピンに上陸しました。この戦いを「天王山」と呼んだ日本軍首脳。アメリカ軍をレイテ島で迎え撃ちます。そして連合艦隊もまた圧倒的戦力を持つアメリカ海軍に挑みかかったのでした。
航空戦力をほとんど持たない連合艦隊が取った作戦は、まさに「おとり作戦」でした。北から小沢中将が率いる艦隊がアメリカ空母機動部隊を誘って引っ張り上げ、西村中将の率いる旧式戦艦部隊がアメリカの戦艦部隊を引き付ける。その隙に栗田中将の主力艦隊がレイテ湾に殴り込みをかけ、そこにいるアメリカ軍の上陸部隊を叩く。というものでした。
一見、無謀な戦いに思えるものの作戦は予定通りに進みます。小沢艦隊はうまくアメリカ空母機動部隊を引き付け、おとりの役割を果たした上で壊滅。そして西村艦隊もスリガオ海峡において優勢なアメリカ戦艦部隊と交戦。ほぼ全滅します。
主力の栗田艦隊は空襲による被害は受けるものの、うまくレイテ湾に突入してアメリカ護衛空母部隊に砲撃を加えました。そこまでは良かったのですが、実は戦い半ばでUターンし戦場を離脱してしまったのです。理由はいくつかあるのでしょうが、なぜUターンしてしまったのか?栗田中将は戦後も明らかにしていません。「敗軍の将は兵を語らず」の心境だったのでしょう。
結局この戦いにより、海からの援護をまったく受けられなくなったレイテ島の日本軍は壊滅しました。また同時に連合艦隊もこれ以降、艦隊としての作戦能力を喪失し、名実ともに消滅したのでした。