日本の歴史昭和

沖縄返還の歴史と米軍基地【今いったい何が問題になっているのかを探る】

念願の沖縄返還

そんなアメリカの施政下にあった沖縄も、いよいよ日本へ復帰が実現する時がやってきました。きっかけとなったのは、復帰の2年前に起こったコザ暴動でした。アメリカ兵士の飲酒運転による死亡事故を発端として、それまでずっとアメリカ兵の起こす犯罪に泣き寝入りをしてきた各地の県民感情は極度に悪化し、それはついに暴動という形で爆発したのです。

この事件によって、不当な扱いを受けていた沖縄県民への同情論が高まり、やがてそれは日本政府をも動かすことに。アメリカ自身も泥沼のベトナム戦争からの撤退を模索していたため、ようやく沖縄の重要性が薄くなり始めていた頃でした。当時の佐藤総理大臣とニクソン大統領は、軍事同盟である日米安保条約の延長を条件として沖縄返還に合意し、ついに1972年、沖縄返還協定が調印されたのでした。

しかし、返還されたといっても現在に至るまで沖縄には米軍基地が依然として集中しており、日米地位協定も改訂されないままになっています。また、沖縄戦やアメリカ統治時代が長かったせいもあり、沖縄では経済基盤が復興されないままになっており、全国の都道府県でもワーストの失業率であることは変わりません。

普天間基地と辺野古新基地のはなし

image by PIXTA / 13055760

そもそも普天間基地は住宅街の真ん中にあり、世界で最も危険な基地のうちの一つだと言われていますね。この20年以上、沖縄といえば「基地問題」といわれるほど根深く、根本的な解決策が見えないのが現状。どちらも同じ米軍基地なのに何がどうして問題なの?と考える方も多いでしょう。しかしそこには政治的思惑が透けて見えてきます。

政治の道具にされた基地問題

そもそも普天間基地返還が議論されたのは、1996年頃の橋本龍太郎内閣の頃でした。当時、北朝鮮の核問題が話題になっていて、日本はアメリカから日米防衛協力強化の見直しを迫られていました。ソ連崩壊で東西冷戦も終わり、やっと米軍基地が縮小されると思っていた沖縄県民にとって、この問題は衝撃でした。さらに米兵による少女暴行事件が重なり、数万人規模の反米デモが繰り広げられるなど一触即発の状態になっていたのです。

そこで橋本内閣がアメリカと合意したのが「普天間返還」でした。しかし普天間基地の代わりになる土地に新たな基地を建設せねばなりません。白羽の矢が立った土地。それが辺野古でした。県民感情を鎮めるために取った政治的方策が、今後20年以上続く基地問題の端緒となったのですね。

しかし、それに冷や水を浴びせかけたのが民主党鳩山政権でした。普天間基地の移設先を「最低でも県外に」と公約で掲げ政権を取ったものの、それは単なるリップサービスに過ぎなかったのです。結局アメリカの合意を得ることができずに頓挫。このような政治的混乱が県民感情を逆撫でするような結果となってしまったのでした。

辺野古が唯一の解決策と連呼する自民党政権

普天間基地を拠点にする海兵隊9千人をグアムに移転させることと、辺野古移設はセットだったはずなのですが、いつも間にか辺野古移設のみが独り歩きするようになりました。

第3海兵機動展開部隊(普天間駐留)の要員が、沖縄からグアムへの移転及びその結果として生ずる嘉手納飛行場以南の土地の返還の双方を、普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すこと

引用元 平成24年日米安全保障協議委員会共同発表

要は、「普天間基地閉鎖」と「辺野古移設」は別物だという解釈になるのです。これは解釈によっては「辺野古に新基地が完成しても普天間を閉鎖するとは限らない」とも取れますね。

そして政権が再び自民党政権に移るや、ここで初めて「辺野古移設が唯一の解決策」というワードも登場することになるのです。そして当時の仲井真知事と水面下での交渉によって、沖縄振興策と引き換えに辺野古埋め立ての承認を取り付けることになったのでした。

しかし、新知事として翁長知事が当選するや状況は一変。政治の道具とされた基地問題に対して県民はノーを唱え現在に至っています。

辺野古以外の解決策はないのか?

辺野古の海を埋め立てて、わざわざ新しい滑走路を造るというのは、県民の安全の確保や騒音問題などからいっても妥当なのかも知れません。ただ、自然豊かな沖縄の海洋環境を壊してまで造ることに対しては、反対される方もまた多いのです。それに普天間基地の代替だといっても実際は普天間の半分以下の面積しか確保できていないのですね。

しかしながら、これまで一度たりとも具体的に辺野古以外への移設を検証してきたか?となると話は違ってきます。ここまで基地問題がこじれる前に、なぜ県民が納得できるような代替地が候補に上がらなかったのか?なぜ辺野古に固執しているのか?謎は深まるばかりですね。

では、埋め立てを行わずに移設先が確保できるのか?これに関しては様々な方が提唱されています。中でも辺野古の南に位置する陸上基地であるキャンプ・ハンセンが移籍先に最適だという意見も多いのですね。ここには古い飛行場跡があり、広大な用地が確保でき、かつ住宅地よりも遠い。何より建設費が安い、工期が短い、普天間並みの滑走路を新設できる。といった利点があるということなのですね。

そういった可能性を検証していくのも、基地問題を解決することへの手段なのかも知れませんね。

これからの未来の沖縄

image by PIXTA / 45693453

基地の島だった沖縄。そんな沖縄が今、変わろうとしています。それはいったいどういうことなのか?未来の沖縄のビジョンを描きながら解き明かしていきましょう。

次のページを読む
1 2 3
Share:
明石則実