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脳にもっと栄養を!明日誰かに話したくなる和菓子雑学の世界【9選】

和菓子とは日本の伝統的なお菓子の総称です。明治時代以降に海外から入ってきた甘いお菓子を「洋菓子」と呼ぶ一方で、日本に昔からあるものを「和菓子」と呼んで区別しています。長い歴史を持つものも多く、名前の由来や歴史などあまりよく知られていないものも多いのです。こちらの記事では普段よく見る和菓子にまつわる疑問・質問の数々をご紹介いたします。最近忙しくて脳も心も疲れ気味だ……という方にお届けできたらうれしいです。

そうなんだ!意外と知らないあの定番和菓子の由来雑学9選

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今回特に注目したいのは、定番の和菓子の由来や歴史です。普段よく見かけるお菓子の中には、見た目だけでは想像のつかない、ちょっと不思議な名前を持つものがたくさんあります。どのようなきっかけでそんな名前がついたのか、どんな誕生秘話を経て現在に至るのか、誰もが知るお菓子の意外と知らない一面を探ってみましょう。

#1 「大福」の名前の由来が知りたい!

定番和菓子の名前の由来、最初のエントリーは「大福」です。やわらかい餅の中にアンをたっぷり詰めて、ふっくら丸く形を整えた、誰もが知る和菓子界のスーパースター。一口頬張れば口の中いっぱいに幸せが広がって、まさに「大福」といった感じがしますが、そもそもどういういきさつでこんな名前がついたのでしょうか。

大福は室町時代頃までは、鶉餅(うずらもち)と呼ばれるうっすら塩味の丸い餅でした。お菓子というより食事といった感じで、腹持ちがよいため「腹太餅(はらぶともち)」などと呼ばれていたのだそうです。

これが江戸中期に差し掛かった頃、江戸・小石川に暮らすおたよ(お玉との説も)という女性が、甘いあんこを餅で包んだ腹太餅を売り出しました。なんとこれが大ヒット!「大腹餅(だいふくもち)」と呼ばれるようになり、これが後に、よりよい文字を当てて「大福餅」と変化していったのだそうです。

#2 「羊羹」ってなんだ?羊は関係あるの?

水ようかんや一口ようかんなど、本格的なお茶菓子からカジュアルなおやつタイムまで幅広く活躍するようかん。漢字で書くと「羊羹」となります。「羊」は動物のひつじのこと、「羹」は「あつもの」といって熱い汁物のことを指す字です。甘いお菓子なのになぜこのような字が使われているのでしょう。

羊羹の歴史は1500年以上も昔の中国大陸にあります。もともと羊羹とは、羊の肉を煮込んだスープのような料理でした。熱々の汁物としてだけでなく、冷えて肉のゼラチン質が固まって煮凝り状態になったものも食されていたようです。この料理が、鎌倉時代の頃に日本にも伝わります。

ただ、日本では当時はまだ肉食は一般的ではなかったため、羊肉の代わりに小豆を入れて調理していました。これが現在の日本の羊羹の原型であると考えられています。

#3 「みたらし団子」の「みたらし」とは?

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餡子やザラメは苦手でも「みたらし団子なら食べられる」という人も多いと思います。甘辛いお醤油味のタレは、甘党のみならず辛党にも大人気です。しかしなぜ、あの醤油タレの団子のことを「みたらし」と呼ぶのでしょうか。

みたらし団子を漢字で書くと「御手洗団子」となります。これは、京都の下鴨神社の「御手洗祭(みたらしまつり)」からきているのだそうです。

御手洗祭とは平安時代から続く歴史あるお祭り。このお祭りでは古くから、氏子さんが小さなお団子を5個ずつ串に指してお供えしていたそうです。やがて境内にこうしたお団子を売る茶店ができ、一般に広まっていきました。当初はまだ甘くなく、醤油をつけて焼いた焼き団子だったのです。

この団子に甘い味がついたのは20世紀に入ってから、戦後まもなくであると伝わっています。下鴨神社の氏子である菓子店が、砂糖や葛粉を使ってとろみのあるタレを考案したところ大人気になりました。「みたらし=砂糖醤油タレ」のことを言うのかと思ってしまいがちですが、もともとは焼き団子であり、甘いタレが商品として定着したのは意外にも最近のことだったのです。

#4 もなかってどうして「最中」って書くの?

「最中」という和菓子がありますが、考えてみればこれも不思議な名前ですね。「さいちゅう」と読むこともできますが、なぜこのような名前がついたのでしょうか。

最中というと、パリパリした皮であんを挟んだお菓子を想像すると思いますが、もともとは白い丸餅のようなものだったそうです。

遡ること1200年以上も前のこと。平安時代のとある宴の席で、とある歌人が夜空に浮かぶ月を丸餅のお菓子に見立てて歌を詠みました。「水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける」……最中とは、まんまるの満月を表した言葉なのだそうです。そのときの話の流れで、丸い餅菓子のことを「もなかの月」と呼ぶようになったと伝わっています。都の雅な人たちの洒落た言葉遊び、といったところでしょうか。

それからおよそ1000年の時が過ぎた江戸時代中期、江戸の吉原にあった竹村伊勢という煎餅屋が、くだんの歌にあやかって「最中の月」という名前のお菓子を売り出します。蒸した丸い餅を焼いて甘く味付けしたもので、まだ餡子は入っていませんでした。

その後、その「最中の月」で餡を挟んだ「最中饅頭」なるものが誕生。餡入りの最中が主流となります。名前も”月”の字が省略され「最中」と呼ばれるようになっていったのだそうです。

#5 まんじゅうを「饅頭」と書く理由は?

「まんじゅう」は「万十」や「万頭」と書くこともありますが、一般的には「饅頭」という文字を当てることが多いです。「饅」1文字だと「ぬた」と読むのだそうで、魚や野菜などを酢味噌であえたものを表します。

饅頭の起源については諸説あるそうですが、よく言われているのが中国の「饅頭(まんとう)」起源説です。中国の饅頭とは、小麦粉を練って蒸した蒸しパンのようなもの。時代や地域による違いはありますが、現代中国では基本的に具の入っていないものを「饅頭」と呼びます。昔は、肉や魚を味付けしたものを入れて蒸したものが多かったようです。現代の日本でいうところの肉まんのようなものだったと思われます。

この饅頭が、鎌倉後期から室町時代頃に日本に伝わりました。肉が一般的ではない日本で、代わりに茹で小豆などを入れて作ったのが、現在の饅頭の起源と考えられています。

ではなぜ「頭」という字が使われているのかというと、三国志に登場する諸葛孔明によるものという説が有力です。

南方への遠征からの帰り道のこと。成都を目指していた孔明たちは、濾水という川の氾濫に悩まされ足止めを食らいます。その地域には昔から、人の頭を切り落として川に沈めて氾濫を鎮めるという習慣がありました。そんな野蛮な習慣は止めさせねば!と孔明は一計を案じ、粉をこねて作った皮に羊や豚の肉を詰めて丸めたものを川に沈め、神に捧げたのだそうです。これが「饅頭」の語源になったと見られています。

#6 どら焼きの「どら」って何?

ドラえもんの大好物として知られる「どら焼き」ですが、「どら」とは何かご存知ですか?

どら焼きとは、鉄や真鍮でできた円盤型の打楽器、銅鑼(どら)が元になっています。歌舞伎や民俗芸能などで見る機会がありますが、大きな楽器なので、現代では普段、街中で目にすることはほとんどありません。大変大きな音がするので、船の出港の合図などに使われることもありました。

どら焼きは、銅鑼に形が似ているからそう名づけられたと考えられています。また、熱した銅鑼で焼いたのでそう呼ばれるようになったという説も。銅鑼が関係していることは明白なのですが、どういういきさつで名がついたかについては諸説あるようです。

関西方面では、奈良県の三笠山の形に似ていることから、どら焼きのことを「三笠」「三笠焼き」と呼ぶこともあります。なだらかな丘陵の形と「皮・餡・皮」の三層構造の両方を言い表しているとされ、この名前が定着して言ったようです。ケーキのように切り分けていただく直径20~30cmほどの大きな三笠は、まさに「銅鑼焼き」といった風格。観光客にも人気があるそうです。

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