安土桃山時代室町時代戦国時代日本の歴史

秀吉天下統一の鍵は「城攻め」にあり!きっかけとなった攻城戦3選をわかりやすく解説

2.備中高松城攻め

この備中高松城攻めは、秀吉が城攻めにおいて「逆転の発想」で勝利した戦いとして有名です。

当初、湿地帯にあるこの城を秀吉は攻めあぐねていました。はてさて、どうしたものか…。そこで秀吉が考えたのが「水攻め」です。秀吉は、城の近くにあった川を堰き止めて、城の周囲を湖のようにしてしまったのですね。籠城側は外からの援軍を期待していたものの、湖と化した城の周囲に唖然。秀吉の目論見は見事に成功しました。やがて、敵方は降伏します。

このように、秀吉の発想は城攻めでも遺憾なく発揮されました。

 

3.小田原城攻め

最後は、小田原城攻めです。

この城攻めは、秀吉により天下統一事業の総仕上げとして行われた戦いになります。総勢22万もの兵で、3か月にもわたって城を取り囲みました。こうしてみると、兵糧攻めではあるのですが、同時にこの城攻めは秀吉による「心理戦」の意味を強く持っていました。

秀吉は、小田原城を取り囲むと、彼らしいパフォーマンスで敵方の度肝を抜きます。小田原城の目と鼻の先の「石垣山」というところに、巨大な城を築いたのです。しかし、当初築城の様子は樹木に覆われてよく見えませんでした。つまり、秀吉はわざと完成した状態をいきなり見せて、相手の戦意を喪失させようとしたのです。

結局この作戦は的中し、秀吉の天下統一は晴れて完成することになりました。

晩年は「らしく」なかった秀吉

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さて、ここまでは「天下統一」をするまでの秀吉を見てきました。それでは、「天下統一」をした後の秀吉はどのような晩年を過ごしたのでしょうか。

有名なところでは、朝鮮への出兵です。しかしこの出兵は秀吉の思惑通りには運びませんでした。また、晩年の秀吉には、おいの秀次を処刑するなど残忍な一面があります。それは、天下人に向かって駆け上がっていった頃とは少し違った、「らしくない」秀吉でした。

これらのことが、やがて時代が豊臣家から徳川家へと変わっていく遠因となっていくのです。

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