幕末日本の歴史江戸時代

戊辰戦争の最終決戦「箱館戦争(五稜郭の戦い)」をわかりやすく解説

鳥羽・伏見の戦い~戊辰戦争の第一ラウンド~

新政府軍に京都を奪われた旧幕府軍は大坂に集結。将軍慶喜も大坂城に入り、体勢の立て直しをはかりました。慶喜は外交的に圧力をかけることで新政府側に妥協を迫ろうとします。

ところが、慶喜の家臣たちである旧幕臣には新政府軍と戦うべきだという意見が強まりつつありました。そうした意見を慶喜も無視できず、旧幕府軍に京都進撃を命じます。フランス式の訓練を施した伝習隊や京都守護の任についていた会津藩兵、会津藩支配下にあった新撰組などが京都へと向かいました。

旧幕府軍の数はおよそ15000。対する新政府軍は薩長を中心とした5000。装備の上でも数の上でも旧幕府軍が優勢でした。しかし、地形を巧妙に利用した新政府軍が旧幕府軍をよく防ぎました。幕府側の指揮のまずさもあり、鳥羽・伏見の戦いは新政府軍の勝利に終わります。戦いの後、徳川慶喜は大坂城を脱出。近畿地方から幕府の勢力は一掃されたのです。

江戸開城と上野戦争~戊辰戦争第二ラウンド~

鳥羽・伏見の勝利で勢いづいた新政府は有栖川宮熾仁親王を総督とした江戸攻撃の軍を出発させました。有栖川宮は明治天皇から錦の御旗などを与えられます。天皇公認の軍ということで官軍と呼ばれました。

有栖川宮を補佐する形で実際の指揮を執ったのが西郷隆盛です。西郷は幕府代表の勝海舟と会談し、江戸を無血開城させることに成功しました。徳川慶喜は新政府に従う意を示し、江戸城を出て水戸で謹慎します。

一方、これに反発する旧幕臣の一部は彰義隊を結成し、上野の寛永寺に立てこもりました。江戸を掌握した新政府軍は彰義隊の討伐を決意します。新政府軍の指揮を執った大村益次郎はわずか一日で彰義隊を壊滅させました。彰義隊の生き残りたちは榎本武揚らとともに五稜郭に向かいました。

北越戦争・会津戦争~戊辰戦争第三ラウンド~

新政府は江戸開城後も従わない奥羽越列藩同盟の攻撃を決定します。その際、北陸方面で新政府に立ちふさがったのが長岡藩でした。長岡藩と新政府軍の戦いを北越戦争といいます。長岡藩は家老の河井継之助を中心に頑強に抵抗しました。一か月半に及ぶ激しい戦闘の末、長岡藩は降伏しました。

同じころ、新政府軍は会津藩へと迫っていました。寺田屋事件・池田屋事件など数々の因縁がある会津藩と薩摩藩・長州藩。会津戦争は北越戦争と同様、激しいものでした。こちらは、約5か月の戦いの末、会津藩の降伏で幕を閉じます。上野戦争での敗残兵同様、北越戦争や会津戦争での敗残兵も五稜郭を目指しました。

箱館戦争~戊辰戦争の最終決戦~

image by PIXTA / 44141826

函館市は当時、箱館と表記されていました。日米和親条約で開港場とされて以来、貿易港として繁栄。幕府はこの地を防備するために西洋式城郭の五稜郭や防衛拠点の四稜郭を作りました。

旧幕府海軍を率いた榎本武揚は新政府に従わず、江戸を脱出。榎本らの旧幕府軍は蝦夷地を制圧します。しかし、新政府がそれを許すはずはありませんでした。山田顕義、黒田清隆らを中心とする軍勢を北へと差し向けます。戊辰戦争の最終決戦、箱館戦争の火ぶたが切って落とされようとしていました。

榎本艦隊の江戸湾脱出

江戸を開城させた新政府軍は幕府海軍を率いる榎本武揚に対して軍艦の引き渡しを求めました。しかし、榎本は主力艦を新政府に引き渡しません

1868年8月、榎本は旗艦開陽丸以下の主力を率いて品川沖を脱出。途中で彰義隊の生き残りや各地の戦いで敗れた人々を船に乗せつつ、艦隊を北上させました。榎本艦隊は新政府に抵抗を続ける奥羽越列藩同盟の中心である仙台藩を目指します。

ところが、、榎本らが到着した時、東北や北陸での戦争は新政府の勝利に終わろうとしいました。榎本は新撰組の副長、土方歳三や伝習隊を率いる幕府歩兵奉行の大鳥圭介、衝鋒隊などを乗せてさらに艦隊を北上させます。次に榎本が目指したのは幕府が西洋式城郭の五稜郭を築城した箱館でした。

旧幕府軍の蝦夷地制圧

1868年10月、榎本艦隊は防備が整っている箱館湾への強行突入を避け、現在の森町にあたる鷲ノ木に3000の兵を上陸させて陸路から箱館を目指しました。

当時の北海道は松前藩が支配する松前・江差周辺を除き幕府の直轄領でした。旧幕府軍は大鳥圭介と土方歳三が二手に分かれて箱館を目指します。大鳥隊は七重・峠下で、土方隊は川汲で、それぞれ守備にあたっていた箱館府兵を撃破し五稜郭に迫りました。

箱館府総督の清水谷公考は相次ぐ敗報を聞き、五稜郭を放棄。青森へと退却していきました。残る松前藩は新政府に味方していました。土方らは松前藩攻撃を決定。11月には松前藩領を制圧し蝦夷地を完全に手に入れました。この時、旗艦の開陽丸が座礁したことは旧幕府軍にとって痛恨の一撃となりました。

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