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実は西郷以上の影響力?大久保利通が現代に遺したモノ3選

【その1】県

「藩を無くして県を置く」…これがまず大久保利通、一つ目の遺産です。明治になり、中央には幕府に代わって新政府が立ちましたが、地方ではまだ江戸時代の「藩」が残ったまま。つまり、そこにいるお殿様もまだ健在だったわけです。その問題を変えるため、大久保ら新政府が行ったのが「廃藩置県」です(それ以前に「版籍奉還※4」という政策も実行されましたが、効果はありませんでした)。

これにより、今まで藩主だった人物に代わり「県令」が中央から新たに送られることに。ここに、江戸時代の統治システムにピリオドが打たれ、今の全国47都道府県につながる新しい体制が作られたのです。

※4  版籍奉還…藩主が土地を朝廷に返還すること。形式的なものに終わった。

【その2】霞ケ関(中央官庁)

大久保利通は初代の「内務卿」でした。つまり「内務大臣」、内務省のトップですね。この内務省という官庁ですが、今で言うと総務省・国土交通省・厚生労働省・警察庁などが一緒になったような超巨大官庁でした。

大久保がさまざまな大型改革を次々と断行できたのも、彼が内務卿という地位にあったことがキーポイントでした。そして、大久保の思想は彼の死後も色濃く内務省に残り、それが今のいわゆる「霞ケ関(中央官庁)」へと引き継がれていくことになります。

このことは、功罪があると言えるかもしれません。

【その3】東京

大久保は、「東京」という名称を考案した人物という一面も持っています。明治初年、新政府は事実上の首都を京都から江戸に移しますが、その際大久保は首都の名称を「東京」へと変えることを提案しました(もっとも、大久保は当初大阪への遷都を構想してはいたようですが)

武士の都から世界に伍する近代国家の都へー「東京」という言葉には、そんな大久保の思いが込められているようです。

 

大久保利通が残した遺産は、現代も生きている!

image by PIXTA / 27203109

ここまで、大久保利通の生涯と彼が残した遺産を振り返ってきました。その他にも、「学制」「地租改正」など、大久保が関係した改革はあまたあり、その影響は100年以上経った現代にも及んでいます。

冷静沈着で寡黙な人柄だったという大久保。それゆえ、西郷のように多くの人に好かれるエピソードが少ないようにも思います。しかし、その業績たるや、まさに近代日本の礎をつくったと言っても過言ではありません。大久保利通は、もっと注目されていい歴史人物なのかもしれません。

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