4-3一茶が残したもの
『めでたさや 中位なり おらが春』も、一茶の代表作のひとつ。新年を迎えるも、自分にはほどほどというめでたさか?という、貧乏を皮肉った俳句です。「一茶調」俳句は後に、種田山頭火ら日本の自由律俳句へと受け継がれました。
実は、生前は名俳人としての位置にはいませんでした。川柳に近い俳人としての位置から、小林一茶を名俳人に押し上げたのは、実は正岡子規です。門人の宮沢義喜と宮沢岩太郎が編集し、子規が校閲・批評を加えた『俳人一茶』から、一茶の評価が高まったといわれています。これがなければ、一茶が江戸三大俳人の一人となることもなかったでしょう。
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一茶は、近代的な言葉を使い、人々に親しみやすい俳句を残した偉人
『春風や 牛に引かれて 善光寺』や『やれ打つな はえが手をする 足をする』など、日常生活での、悩みや苦しみから生み出された親しみのある句を残しています。今でも彼の俳句が多くの人を惹きつける意味は、彼の日常から垣間見られる人々への幸福の願いを、感じられるからではないでしょうか?