春が地獄へ変わるとき
こうして各国に広がっていったアラブの春。しかし、春が来れば冬も来るもの。アラブの春が巻き起こった国々では総じて内乱か反クーデターになってしまい、アラブの春が起こるよりもひどい状態になっていくことになります。
基本的に中東や北アフリカでは民主化によって宗教的少数派が発言力を強めていくようになり、独裁体制では抑えられていた部族主義が台頭していくようになりました。
そしてこのうねりは民主主義になることによって爆発するようになり、最終的には内乱か軍部政治になるオチとなってしまうのです。
エジプトの逆クーデター
30年という長期に及んだムバラク政権を崩壊させたエジプト。ムバラク政権が崩壊した直後に行われた選挙ではイスラム主義を唱えていた団体が支持していたムルスィーが勝利して大統領に就任しました。
しかし、エジプトではイスラム主義をとったことによって社会が大混乱。さらに混乱の最中で社会と経済の立て直しに失敗したことで大統領の支持率は急速に低下。
その結果国民の支持を失ったムルスィーの退陣を要求する大規模なデモが発生しました。
このデモに乗じて軍がカウンタークーデターを引き起こすことに。圧倒的な力を持っている軍に敵うはずもなく、ムルスィーは大統領を解任されました。
結局軍事政権に
ムルスィーが解任されると大統領選挙が行なわれることになりますが、このとき当選したのが軍のクーデターを引き起こしたシシでした。
基本的にエジプトは王政が倒されてからナセルやサダトといった求心力が強い軍人が大統領となるのが一種の定番となっていました。結局、エジプトの国民は基本的な軍政に任せるということがこの大統領選挙で如実に現れたのです。
そして軍人が大統領になったことによってアラブの春からわずか3年でエジプトは民主化の道から逆行してしまったのでした。そして2017年には軟禁状態にあったムバラクが無罪となり6年ぶりに釈放。一方で民主化運動を行った人たちは復讐かのように逮捕され「国を倒すためのスパイ行為」を行ったことでモルスィーは死刑判決を受けています。
その後、大統領となったシシは民主化運動が起こらないように集会・言論の自由を制限しただけではなく、徹底的にイスラム主義の人たちを弾圧ていくことに。しかし、イスラム主義の人たちを弾圧したことでイスラム主義によるテロ行為が頻発するように。このテロの頻発は観光が主な産業であるエジプトにとってテロの激化は経済だけでなく社会全体を脅かしています。
リビア内戦
2011年のリビア内戦でカダフィ政権下で優遇された部族などは新政府による報復が発生することになります。これはカダフィ政権の時に優遇され続けてきた部族に対する不満が爆発したものだと見られていました。そしてリビアは反政府軍と政府軍の争いで大混乱。報復の応酬によって今のリビアの混乱があるのです。そして政権が打倒されてから3年後の2014年。各地でイスラム系武装勢力の攻勢が活発化していったこともあり政府の支配権が弱体化。
その時に行われた選挙では反イスラム派が勝利。けれに不服とした人たちが国際空港を占拠を起こすなど暴動が起こり、双方がロケット砲を打ち合う大がかりな戦闘が起こることになります。そしてこの戦争の結果世俗派とイスラム派の戦争が始まってしまい、首都トリポリにおける実効支配権を喪失。一方新たに首都を掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会を設立し、リビアは真っ二つに別れてしまいます。
イエメン内戦
チュニジア、エジプト、シリアと並んで同じく政権を退陣させることに成功したイエメンは苦境に追い込まれてしまいます。
イエメンでもスンナ派系過激組織などの温床になっていき、2014年には北イエメンの北部を拠点としたシーア派武装組織がイエメンからの分離独立を主張して武装蜂起。いわゆる武装クーデターによってイエメンを制圧していき、大統領を辞任に追い込みました。
実はこの過激派組織の裏にはイランがいるとしてほかのアラブ諸国が警戒感を強めます。またイランと仲が悪いサウジアラビアは他のアラブ諸国軍と共に拠点を空爆。いわゆるイランとサウジアラビアの代理戦争のような形となっていきイエメンは内戦状態となりました。
2020年現在でもイエメン情勢は安定せず依然として内戦が続いています。
今のイエメンでは南部ではの分離独立を主張する南部暫定評議会が武装蜂起を行って首都のアデンを制圧。政権は何とか亡命してこれにより政権派とフーシ派、南部分離派の三つ巴の内戦状態になりました。
シリア内戦
アラブの春で一番被害をこおむったのがシリアではないでしょうか?
2011年3月15日にアラブの春に影響を受けた民衆がシリア各地の都市で一斉にデモがおこなわれて抗議者と治安部隊が衝突。この日がシリア内戦の始まった日だとされています。とはいってもまだこのころはシリアを統治していたアサド政権を打倒すものではなく、すべての政治犯の釈放と、汚職の根絶といった民衆の自由を求める声でした。
政府側は、このデモで革命が起こってはたまりませんのでアサド政権は要件を一部のむことで合意。政治犯の釈放や非常事態法の撤廃を受け入れて譲歩を示しました。
しかし、市民はさらなる自由を求めていくようになり、これに耐えきれなくなったシリア政府はついに武力介入を決意。
政府側が軍を投入して鎮圧を図るようになると市民もそれに呼応する形で武装蜂起を起こしていき、政権の転覆を目指していくようになりました。さらに、アサド政権の側近であったリヤード・アスアドがアサド大統領に耐えきれなくなってしまい政府から離反。アスアドは自由シリア軍という反政府武装勢力を結成していき、反政府側の人間は次々とこの自由シリア軍に合流していくような形となりました。
しかし、このシリア内戦はトルコやアメリカやロシアなどの介入を招くように。さらにはISILが活動を活発化ていくようになるとシリアは泥沼の内戦状態に突入していくようになりました。2020年現在でもシリアでは内戦が続いており、さらには内戦の他にクルド人とトルコの対立によってまだ終わらないのが現状。現在難民は世界で約1300万人にのぼると考えられており、シリア国民の約6割が難民となっているのです。