日本の歴史江戸時代

東北の一大藩「仙台藩」の歴史とは?わかりやすく解説!

仙台藩の改革

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こうして騒動が起こった仙台藩でしたが、内政の面では着実に成長を遂げていくようになります。次は仙台藩がどのようにして成長していったのかについて見ていきましょう。

海産物政策

仙台藩がまず力を入れたのが海産物でした。仙台藩の海岸はいわゆる三陸海岸と呼ばれていました。この三陸海岸では当時から海の幸に恵まれており、とくにほしあわび(吉品鮑)と気仙沼のふかひれが有名です。

仙台藩は三陸海岸でとれるあわびやサメを加工してほしあわびとふかひれを長崎俵物として中国に輸出しました。俵物というのは江戸時代に海外に輸出された品々のことを言います。俵につめて船に乗せられたことから、俵物という名前がつきました。仙台藩のふかひれやあわびなどは干されて小さくした上に俵に詰めていずれも乾物として出荷されました。

この3品は中国では高級食材として需要が高く、現在でも中華料理の料理に使われています。江戸時代の中期には俵物を輸出して利益を得ていたのです。

石高増強

海産物のほかに取り組んでいたのが石高を増強するための新田開発でした。伊達政宗が仙台藩を開いたとき、このエリアは何もない野原。とはいえ仙台に流れる広瀬川を中心とした仙台藩内をながれる河川の周囲は米作りにぴったりでした。これに目をつけた政宗は新田開発を推し進めていくようになります。

この政策によって仙台藩では順調に新田開発を行っていくようになり、仙台藩で生産したお米を江戸や大坂にに輸出していくようになりま。また、コメの輸出のために江戸へと簡単に輸出できるようにするための水路や海路を構築していきました。

仙台藩で作った米は水路を変更した最上川の水路を使って太平洋に出るようにして石巻港から江戸に米を運搬する経路が確立しました。この海路をいわゆる東廻り航路と言います。そのおかげで石巻は東北地方を代表する港として発展。たくさんの船が出入りするようになりました。

ちなみに18世紀にはいると仙台藩は100万石を普通に超えていたとか。凄いですね。

幕末の仙台藩

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時は流れ幕末の時代。江戸幕府が1868年に大政奉還によって崩壊するとその直後に戊辰戦争が起こることになります。戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が大敗北するとその直後に明治新政府から会津藩討伐の命を受けることになりました。

しかし、仙台藩には幕府を守ろうとする佐幕派と倒幕派で分かれ、その上で佐幕派に傾き始めていくことになります。そのため同じく佐幕派の会津藩と戦うつもりは初めからなく、進軍は形だけのものでそれ以上の行動は起こすとはありませんでした。

その直後に仙台藩は会津藩と交渉を行って「会津藩が全面的に降伏する」ことでこぎつけるのですが、最終的には失敗に終わることになります。新政府からしても会津藩を倒すことは新政府の中心であった長州藩からしたら悲願であり、降伏は認められない物でもありました。

この問題を受けて仙台藩を含めた東北地方の藩主たちが白石城に集結して話し合いを行い新政府に対して会津藩・庄内藩の赦免を求める奥羽越列藩同盟が結成されることに。その中でも1番石高が高く、そして指導力がある仙台藩がその盟主となったのです。しかし、会津と庄内藩の降伏を認める嘆願書は最初から会津藩とつぶそうとしている新政府によって握りつぶされてしまい、仙台藩を盟主とする奥羽越列藩同盟は新政府との全面戦争を決意。しかし、この奥羽越列藩同盟に拒否感を持つ藩も中にはいて秋田藩が新政府への開戦を要請した仙台藩の使者を斬り捨て同盟から脱退。

さらにはその行為に呼応して津軽藩が脱退して奥羽越列藩同盟が徐々に瓦解することになります。そして時代は会津戦争に変わっていくことになりました。

仙台藩第二の危機

そして迎えた会津戦争。しかしこの戦争は最初から決まっているようなものでした。新政府軍は大量の最新兵器を持っているのに対して仙台藩は旧式の武器しか持っておらず、旗巻峠の戦いでは、新政府軍に大敗を喫してしまい、ついに藩主であった伊達慶邦の判断で仙台藩は降伏しました。

その後、奥羽越列藩同盟の盟主だったこともあってか明治政府より責任を問われてしまい仙台藩は62万石から28万石に減封。2分の1(さらに本当の生産高だと4分の1)に減らされることになります。この減封に際して仙台藩は、大々的なリストラを行うことになり、残った家臣たちも大幅に給料を減らされることになりました。

仙台藩はそのため家臣たちを助けるために北海道への移住を奨励。特に藩主の親族でもあった伊達邦直をはじめとするひとたちは自らの家臣団の救済のために莫大な金額を投じて北海道開拓を行っていくようになったのです。

仙台藩の最後

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1871年8月29日の廃藩置県により仙台藩が廃止。同じ領域に仙台県が置かれ、ほとんどが宮城県へとなっていきます。その後廃藩置県によって伊達家は東京に移住。仙台藩は亡くなって現在へとつながるのです。しかし、今でも仙台藩や伊達家は宮城県の誇りとして生き続けています。

仙台藩はまさしく宮城県の基礎を作った藩だったのですね。

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