トルコ共和国の樹立
1923年、ムスタファ・ケマルはトルコ共和国の成立を宣言。トルコ大国民会議は初代大統領にムスタファ・ケマルを選出しました。1924年、ムスタファ・ケマルはカリフ制度も廃止。オスマン帝国時代とは異なる政教分離体制を確立しました。
ムスタファ・ケマルが行った一連の改革をトルコ革命といいます。ムスタファ・ケマルは共和主義・民族主義・人民主義・国有国営主義・世俗主義・改革主義の六原則を掲げました。同時に、イスラム教から政治・文化・教育を解放し、西欧化を目指します。
ケマルが行った主な改革は、アラビア文字を廃止してローマ字を採用する文字革命。女性の地位を向上させ、一夫多妻を禁、女性のチャドルを廃止する婦人解放。イスラム暦から太陽暦への変更など、社会を抜本的に変えました。
1934年、トルコ大国民会議は「父なるトルコ人」を意味するアタテュルクの称号をムスタファ・ケマルに贈ります。以後、ムスタファ・ケマル・アタテュルクとよばれるようになりました。1938年、ケマルは執務中に死去します。激務と過飲が原因とされました。
柏崎トルコ文化村にあったケマルの騎馬像、南紀の串本町に移る
新潟県柏崎市に、かつて「柏崎トルコ文化村」というテーマパークがありました。そこには、トルコ政府はケマルアタテュルクの立派な騎馬像をトルコ文化村に寄贈します。ところが、2004年に観光客の集客がうまくいかずトルコ文化村が閉鎖されるとケマルアタテュルクの騎馬像は野ざらしにされてしまいました。そのことを知った駐日トルコ大使館は移設を要請。エルトゥールル号で縁のあった和歌山県串本町に移設されます。日本とトルコの友好の証である騎馬像が、あるべき場所に収まってよかったのではないでしょうか。