日本の歴史鎌倉時代

政府によって借金が実質的に帳消し!?「永仁の徳政令」をわかりやすく解説

土地問題の悪化と永仁の徳政令の実質的廃止

永仁の徳政令の弊害はここでは止まりません。永仁の徳政令が発令したことによって土地問題を扱う裁判がほとんどできなくなってしまったことにより、土地問題を扱う権利を剥奪された有力御家人や貸上の不満が溜まってしまう事態を招いてしまうことになりました。

こうなっては幕府もさらなる対策を打たなければなりません。

結局、永仁の徳政令を発令した翌年の1298年に幕府は土地を無償で取り戻せる条項だけを残して永仁の徳政令を実質的な廃止に追い込みました。こうして永仁の徳政令にまつわる一連の改革は大失敗に終わってしまうことになったのです。

永仁の徳政令の影響

永仁の徳政令で御家人を救えなかったことによって幕府の権威はここから一気に失墜することになります。

生活に困窮した御家人たちや非御家人たちは幕府に従わない独立した勢力である悪党としてかくちで活動を行なっていくことにより、幕府の影響力は次第に衰えていくことになりました。

こうして御家人たちをコントロールできなくなってしまった幕府は一気に滅亡の道を歩んでいくことになるのです。

永仁の徳政令は幕府を破滅へ導いた

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永仁の徳政令によって御家人の不満が溜まっていくことになり、最終的には滅亡の道を一気に進んでいくことになります。

永仁の徳政令は幕府が滅亡するきっかけとなった出来事であったのですね。

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