日本の歴史鎌倉時代

政府によって借金が実質的に帳消し!?「永仁の徳政令」をわかりやすく解説

御家人の売却した土地は無償で返還

これが一番の内容だったと思います。

永仁の徳政令では借金の方に入れた土地は基本的には無償で取り返すことができると決められることに。

御家人に対して売買した場合は売ってから20年という形で期限が設けられていましたが、基本的には無償で取り戻せました。

御家人の土地の質入れや売却の禁止

御家人たちが生活を苦しめることになった最大の理由は土地を売ってしまい、収入を減らしてしまったということ。

永仁の徳政令ではこのことを二度と起こさないように御家人に対して基本的には土地を質入れしたり、売却することを禁止しました。

金融業者の訴訟の禁止

永仁の徳政令によって土地を返すことが決まってしまいましたが、これによって抗議を行うのはもちろん貸上の人たちですよね。

そのため、永仁の徳政令では幕府は先手を打って御家人に対して土地を分捕った貸上が御家人に対する土地問題で訴訟を行うことは禁止としました。

要するに幕府に訴えても取り合ってもらえないということですよね。貸上はこれによって大打撃を受けてしまうことになったのです。

越訴の禁止

越訴というのは要するに裁判で負けた人がこの裁判の判決に不服して再審請求を行うことを指します。

これを禁止することによってこれから先例えば土地問題で一方的に不利な判決になってしまっても再審することができなくなってしまったのでした。

幕府からしたらこの当時8割の訴訟の内容であった土地問題に関する裁判をできるだけ省こうとしたという説や、裁判費用をかけてしまっては結局永仁の徳政令を出したところでまた御家人が貧乏になってしまうという理由があったそうです。

しかし、結局は幕府側の建前にしか過ぎず、要するに幕府は面倒ごとを避けたかったのかもしれませんね。

永仁の徳政令の結果とその後

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結果から言いますと、永仁の徳政令は失敗に終わりました。

しあし、どうして永仁の徳政令は失敗に終わってしまったのでしょうか?次はそんな永仁の徳政令が失敗に終わってしまった原因を見ていきたいと思います。

御家人の生活のさらなる困窮

永仁の徳政令が出された後、御家人の生活は良くなるかに思えましたが、現実はそんなに甘くはありません。結局借金が実質的にチャラとなってもそれに応じた収入を得られなえればまた借金生活に戻ってしまうことになってしまいます。

さらには御家人が借金生活に戻っとしても、御家人の担保となっている土地がまた無効となってしまうと考えた貸上はもう二度と御家人に対してお金を貸すことはなく、御家人は借金できない状態となってしまい、生活がさらに悪化してしまう事態を招いてしまいました。

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