第一次世界大戦のその後を決めた「パリ講和会議」とは?わかりやすく解説!
ドイツの戦後処理問題
フランスの最大の関心はドイツをどういう形で懲らしめるかでした。当時のフランス大統領であるクレマンソーはこのドイツに対してかなり強硬的な対応を取ることになります。
まず、領土問題なんですが、戦後ポーランドが独立する時にドイツ帝国領であったダンツィヒの国際管理。さらにその周辺地域を大幅にポーランドに明け渡すことになります。
オーストリアとの合併は禁止。さらに植民地も全て没収。ドイツの植民地はイギリスとフランスに大半が吸収されることになります。
また、この当時ドイツの重要工場地帯であったラインラントの左岸をフランスは強く要求。
イギリスとアメリカはこれに強く反対しましたが、フランスがラインラントの左岸を15年占領という形で妥協して結局合意することになりました。
さらに、フランスは戦争で使った莫大な戦費をこのドイツに対する賠償金で賄おうとして、ドイツに対して1320億マルク(ドイツの国民総生産とほとんど同じ)を要求。これが正式にドイツに対する賠償金として決定することになりました。
軍備も大幅に縮小されは陸軍は25万人、空軍の保有は禁止されこれはヒトラーが政権を持ち続けるまで続けられることになります。
しかし、この過度なドイツに対する処理はウィルソンが考えていた理念とは大きくかけ離れており、さらにこのことはのちにフランスに大きく返ってくることになるのです。
ロシア問題
第一次世界大戦の途中、連合国の一員であったロシアは帝政が崩壊し、ロシア内戦と呼ばれる内紛状態に突入していました。
さらに、その途中に入るとレーニン率いるボリシェビキの力が急速に増していき、10月革命によってソビエト社会主義共和国連邦が成立。
社会主義を嫌っている連合国からしたらこれは看過できない問題でもあったのです。
イギリスとフランスはソ連に対して干渉を行うべきだと主張しようとしてしまいたが、アメリカがこれに反対。結局、ソ連との間で連合国条件が提示されソ連に対して干渉を行わないとすることが決められることになります。
しかし、ロシア内戦が進むにつれてソ連の勢力の増大を恐れた連合国はその後シベリア出兵を行なっていくことになるのでした。
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トルコ問題
戦後中央同盟国の一員であったトルコはその領土の大半をイギリスとフランス領にすることが決められていきます。
まず、オスマン帝国に恨みを持っていたギリシャがオスマン帝国領であったトラキアを要求。この要求が認められることになりました。
またアナトリア半島は委任統治とされ、メソポタミアやシリアなどはイギリスとフランスの委任統治領として支配を受けることになります。
しかし、その後結ばれたセーヴル条約はムスタファ・ケマルによる抵抗によってなしとされ、結局アナトリア半島はトルコ領に、そしてメソポタミアとシリアは連合国の委任統治という形で収まりました。
日本による人種差別撤廃問題
パリ講和会議の5大国の構成国となった日本。アジア唯一の列強となった日本はドイツの領土となっていた山東半島を獲得。さらに南洋諸島の委任統治が決められることになりました。
しかし、それ以上の日本の悲願の一つに人種差別の撤廃があったのです。日本は国際連盟を成立する時に人種差別禁止の条項を国際連盟規約のなかに明文化することを提案。
これはアメリカがこの当時行っていた日本人に対する移民排斥の防止策としての意味もありましたが、それ以上に大事だったのが有色人種のうちで唯一の列強国としてのプライドがあったと思われます。
この当時、有色人種は白色人種から激しく差別を受けており、黒人などからしたらこの人種差別撤廃はまさしく悲願そのもの。これを提出できるのはそれ相応の国力がある日本だけだったのです。
しかし、アメリカからするとこの人種差別撤廃を見逃してしまうと日本排斥の主な理由である
アメリカ人の職を奪うという根本的な解決ができなくなってしまいます。さらに人種差別撤廃の提案は内政干渉にあたるという強い反発かあり、さらにイギリスも白豪主義をとっていたオーストラリアの強い反対にあい、この2カ国はこの人種差別撤廃の提案を拒否することになりました。この当時の会議では全会一致が原則だったため、16カ国のうち11カ国の賛成を得ましたが人種差別撤廃案は不採択。
これはアジア主義者に暗い影を落としていき、そしてその流れは太平洋戦争が起こる一つの遠因へとなっていくのでした。
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パリ講和会議の影響
パリ講和会議が行われた後、この講和会議をもとにした条約が締結。これこそが第一次世界大戦後の世界を決めるヴェルサイユ条約でした。
しかし、このパリ講和会議の内容は満足できる問題ではなく、その後アメリカの国際連盟の不加入やドイツの反フランスの意識が高まっていくことになります。
そしてそのヴェルサイユ条約は新しい世界大戦の大きな一歩へとなっていくのでした。