イギリスヨーロッパの歴史

薔薇戦争(バラ戦争)とは?百年戦争後に起きたイングランドの王位継承争いをわかりやすく解説

薔薇戦争(2)ヨーク家お家騒動

ランカスター家とヨーク家の争いもこれでやっと終わりか……と思われていましたが、ヨーク家も決して安泰ではありませんでした。

ここから、ヨーク家内部のゴタゴタが明るみに出ます。エドワード4世が勝手なことをして、家臣たちから総スカンを食ったのです。

中心となったのが、激しい戦いが続く中、エドワード4世を即位させ、戦いに大きく貢献したウォリック伯「キングメーカー」の異名をとる大人物で、大きな権力を持つ大貴族になっていました。

ウォリック伯はヨーク家のさらなる発展のため、エドワード4世にフランス王族との縁談を持ち掛けます。しかしエドワード4世は、あろうことかランカスター派のとある騎士の未亡人とこっそり結婚。何をやってるんですか……と、ウォリック伯をはじめ周囲から失望されてしまいます。

こうしたことが重なって、エドワード4世とウォリック伯たちとの間に溝ができ、イングランド国内は混迷。結果、ウォリック伯はイングランドを追い出されてしまうのです。

この時再び、あのヘンリー6世とマーガレット王妃が現れます。フランスに亡命していた元王と元王妃はウォリック伯と手を結び、王位奪還を画策。1470年、ヘンリー6世は見事、玉座に返り咲いたのです。

さすがキングメーカー。しかしウォリック伯の活躍もそう長くは続きません。反撃に出たエドワード4世の軍に攻められて戦死。ヘンリー6世も殺害されてしまいます。

薔薇戦争(3)テューダー家の登場

いちおう、ヨーク家の勝利ということで落ち着いたかに見えましたが……。ヨーク家のお家騒動が再度勃発し、薔薇戦争はまだまだ続きます。

1483年、エドワード4世が亡くなって息子のエドワード5世が即位すると、今度は側近たち同士の対立が激化。そのゴタゴタの中、エドワード4世の弟にあたるグロスター公リチャードは、争いあっていた側近を処刑し、エドワード5世をロンドン塔に閉じ込めてしまうのです。

そして自らをリチャード3世とし、さっさと即位してしまいます。

これに反発した人々による反乱が多発。情勢は一向に安定しません。

ここで救世主が現れます。フランスに流れていたランカスター家のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーです。

リチャード3世に追い出されてしまった貴族たちは、ヘンリー・テューダーのもとに集まります。

機を見たヘンリー・テューダーは軍を編成しイングランドに進軍。リチャード3世側の貴族や役人たちの中にも、悪政に嫌気がさしたのか、ヘンリー・テューダーに寝返る者が数多くいたようです。

大勝利をおさめたヘンリー・テューダーはヘンリー7世として即位。ランカスター家の直系ではない(女系)血筋ではありましたが、もうあれこれ気取ったことを言っている場合ではありません。みんなヘンリー7世に一縷の望みを託します。

ヘンリー7世はヨーク家の王位継承権を持っていた王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚。30年も争い続けていたランカスター家とヨーク家を結びつけます。

そして、赤い薔薇と白い薔薇を組み合わせた「テューダー・ローズ」という薔薇の紋章を考案。この薔薇は以後、テューダー家の徽章として受け継がれていきます。

赤と白の薔薇が紡ぐ平和への道:薔薇戦争

image by iStockphoto

日本でも、戦の際、家紋入りの幟(のぼり)や鎧兜を身に着けますが、イングランドの兵士たちも、自分が属する王家の白バラ・赤バラの紋章を身に着けて戦ったのだそうです。戦っても戦っても、平和になったかなと思ったらまた内乱。庶民はやりきれなかったと思います。薔薇を胸に戦う兵士たちのことを思っていたら、ここまで長引かなかったのでは……そんなことも感じました。

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