短編作家としてのナサニエル・ホーソーン
さてホーソーンといえば『緋文字』……ですが、他にどんな作品があるのでしょうか?邦訳で気楽に読める作品として、『ラッパチーニの娘』があります。明治から大正にかけて活躍した日本の怪談作家・時代小説家の岡本綺堂が邦訳した短篇『ラッパチー二の娘』。どんな小説なのでしょう?
中世イタリアのパドゥア大学を舞台に、庭園にあらわれる美しい娘ベアトリーチェとその父親ラッパチーニ博士の謎、そしてベアトリーチェに熱烈に恋する青年の姿が描かれた幻想短編小説。色彩豊かであざやかな感覚を読むひとに与える『ラッパチーニの娘』は、えっコレほんとに『緋文字』の人!?と驚きますよ。意外とホーソーンは幻想小説を書き残しており、日本語で読めるホーソーン作品は幻想小説アンソロジーなどに収録されていたりします。
短編『ウェイクフィールド』は多くの小説家にインスピレーションを与えた作品です。主人公の男は、ある日妻を家に置いて出かけて帰りませんでした。しかし彼は実は自宅の隣の通りに家を借り、そこで20年間も暮らしていたのです。特に何か理由があるわけでもなく……。理不尽で不条理な味わいのあるこの短編『ウェイクフィールド』を、アルゼンチンの国会図書館長もつとめた作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスはホーソーンの最高傑作、さらには「文学における最高傑作の1つ」と評しています。ナサニエル・ホーソーンはいろんな顔がある作家なんですね。
「アメリカ大統領の友人」ホーソーン
ナサニエル・ホーソーンはしかし、生涯を通してバリバリに活躍した文豪というわけではありません。リア充だった時期の作品はパッとせず、困難な境遇にいる間は良作を生み出していたホーソーン。サイクルがわかりやすいですね。『緋文字』以降の彼の後半生は社会的な栄光の中にありました。
『緋文字』が上梓された3年後の1853年、ホーソーンは大学時代の盟友フランクリン・ピアースが大統領選挙に立候補するにあたり、候補者略歴を執筆します。彼が力をふるった文章のおかげかわかりませんが、ピアースはめでたく大統領に当選。ホーソーンはアメリカ大統領ピアースからリヴァプール領事に任命されました。持つべきものは友人ですね。
リヴァプール領事を退任後はイタリアなどに滞在して小説執筆を続けます。しかし『緋文字』の作者としてのホーソーンの評価は高いのですが、1つ1つの作品のクオリティはばらつきがあるのは事実。さらに南北戦争による国内情勢の混乱やわずらった病気により、晩年の小説作品は非常に少ないです。政治的混乱の中、アメリカ文学に転換点を与えた作家ナサニエル・ホーソーンは1864年、旅行中に突然死去します。59歳でした。
知るほどに奥深い作家ナサニエル・ホーソーン
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ナサニエル・ホーソーンは『緋文字』以外微妙なイメージ……そんな方も多いかと思います。しかし先述した通り、ムラがあるものの多彩な作品を残しており、文学全体に与えた影響は計り知れません。さらに、性愛を肯定したことは厳格なキリスト教倫理の社会では革命的でした。Aの文字は何色?ぜひあなたもホーソーン作品を手に取ってみてください。