鎌倉幕府が滅んでも慕われた北条時頼
北条時頼は「質素剛健で信仰心が厚く、民に好かれていた」という評価で、名君といわれています。なくなった後に「明月院」にお墓が建てられますが、北条氏の地元である伊豆でも分骨をせがまれて、伊豆長岡の源氏山の麓にある「最明寺」で眠っていますよ。この墓は南北朝の戦いで荒らされていたのですが、江戸時代になってから、身延山久遠寺の貫主が「日蓮聖人と縁のある人だから」と建て直して日蓮宗になっているのですよ。時代を超えてまで慕われていたのですね。
北条時頼は「質素剛健で信仰心が厚く、民に好かれていた」という評価で、名君といわれています。なくなった後に「明月院」にお墓が建てられますが、北条氏の地元である伊豆でも分骨をせがまれて、伊豆長岡の源氏山の麓にある「最明寺」で眠っていますよ。この墓は南北朝の戦いで荒らされていたのですが、江戸時代になってから、身延山久遠寺の貫主が「日蓮聖人と縁のある人だから」と建て直して日蓮宗になっているのですよ。時代を超えてまで慕われていたのですね。