五賢帝時代でローマの平和も最高潮に
みんなに選ばれた皇帝が即位し、病気などで亡くなると、生前に指名されていた後継者が次期皇帝に即位する……。マルクス・コッケイウス・ネルウァが皇帝となった96年あたりから、帝政ローマにもようやくそんな時代が訪れるようになりました。
ネルウァと、その次の皇帝トラヤヌス、さらに次の皇帝ハドリアヌスは、嫡子がいなかったため早いうちからそれぞれ前皇帝の養子に入るなど、後継者選びをしっかりと行っていたようです。
おかげで後継者争いが起きることもなく、平和な日々が続くことになりました。
このネルウァからトラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスと続く5人の皇帝のことを「五賢帝」と呼び、この時代を特に「五賢帝時代」と呼ぶことがあります。
この時代、特にトラヤヌスの時代はローマの領地の広さが最大に。最も繁栄した時代と呼ばれており、パックス・ロマーナも最高潮に達します。
ただし「五賢帝」という言葉の意味は、「ローマ皇帝ベスト5」という意味ではありません。前述のエドワード・ギボンのような歴史家たちがこのような言葉を使って評価をしているだけで、五賢帝たちが特に優れていたというわけではなさそうです。
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ローマの平和も終焉・コンモドゥスの愚行
200年余り続いたパックス・ロマーナ。最後の時が近づいてきました。
マルクス・アウレリウスの後は、彼の息子のコンモドゥスが皇帝となります。
残念なことにコンモドゥスは賢帝とは呼ばれていません。
それどころか、暴君ネロ以来の暴君・愚帝と呼ばれています。
政治はそっちのけ、遊び歩いて贅沢三昧。コスプレに興じたり奇妙な行動を繰り返して民衆の怒りを買うことになってしまいます。
コンモドゥスの在位当時は、周辺の情勢にも変化が見られましたので、運がなかったのかもしれません。ゲルマン民族が侵攻してきたり、いろいろやらなければならないことが増えて、政治が嫌になってしまったとも見られています。
長く続いた平和のしわ寄せか……。とにかく「パックス・ロマーナ」と呼ばれる時代は、コンモドゥスが即位した後、父マルクス・アウレリウスが亡くなった180年に終わります。
コンモドゥスは奇行を繰り返した後、192年に愛人の手引きで暗殺されてしまうのです。
戦乱の後の穏やかな日々「パックス・ロマーナ」に学ぶこと
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皇帝が暗殺されたり変な皇帝が出てきたり、皇帝に注目すると、平和といってよいものか戸惑う一面もある「パックス・ロマーナ」。皇帝がきちんと後継者を決め、おごらずおぼれず、真摯に職務を遂行する……平和へのキーワードは「身内で争わないこと」。そのあたりに平和へのヒントがありそうです。ローマ帝国が強大な力を持っていたからこそ訪れた穏やかな時代。争いは起きないほうがよいけれど、平和を得るためにはまず周辺諸国と争って制圧を……。これは今日にも通じること。決して、古代に限ったことではないのかもしれません。