4-1.遺跡から発掘された大量の出土品
朝倉氏館跡・町家地区からは、計2,000点以上に及ぶ大量の出土品が発掘されています。石塔や石仏などのほか、寝床を暖めるための石なども見つかっていますね。
昔から一乗谷を含む足羽川一帯からは、笏谷石(しゃくだにいし)と呼ばれる凝灰岩が多く産出されているのです。屋根の葺き材としても用いられ、耐寒性の高い石材として重宝されていました。
また国産の陶器類だけでなく、中国や朝鮮・タイなどから輸入されたと思われるガラス製品や金属製品などもたくさん見つかっていますね。日本海経由で様々な海外の文化が一乗谷へ入ってきていたことを示すものです。
これらの遺物を見ると、当時の一乗谷がいかに最先端の文化を持っていたかが窺い知れるわけですね。
4-2.一乗谷の巨大な土の門【城戸跡】
一乗谷は南北に延びる狭い谷筋にありました。そのため外敵の侵入を防ぐために、南北二正面に巨大な土塁が設けられて城戸(きど)という門が出入り口になっていたのです。
南側にある城戸を上城戸、北側にある城戸を下城戸と呼びますが、おすすめしたいのは下城戸のほう。巨石の石垣が積んであって迫力満点ですし、その構造も敵が侵入しにくいような枡形構造になっています。
4-3.発掘された庭園が見事!【朝倉館跡】
663highland – 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる
朝倉氏の歴代当主たちが居住していた大名屋敷の跡ですね。入口の唐門は復元されていますが、土塁で囲まれた内部に礎石はあるものの建物はありません。
しかし発掘された庭園は見事!かつては水を庭園内に引き込み、幽玄な風情があったことが想像できます。京都から著名人を多く招き、この庭を愛でながら宴が繰り広げられていたのでしょうね。また枯山水などの庭も同じ敷地内にあったようです。
4-4.ゴツゴツした豪壮な石組が見事!【湯殿跡庭園】
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朝倉孝景の代に築造されたとされる一乗谷で最も古い庭園跡ですね。朝倉館跡から高台に登ったところにあり、建物跡などは発掘されていませんが、かつては豪壮な石を組み合わせた規模の大きい回遊式林泉庭園だったようです。
かの芸術家岡本太郎氏もここを訪れて、感動のあまりにしばらく無言で立ち尽くしたといいますから、それは見事さがわかるというもの。
4-5.当時の人々の生活を再現【復元町並】
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発掘調査や史料をもとに1995年に復元された一乗谷の町並みです。当時の町屋の様子が原寸大で再現され、そこを歩けば室町時代にタイムスリップしたかのような感覚になりますよ。
当時の築地塀は白壁ではなく土壁。素朴ながらも味がある雰囲気になっていますし、まるで長屋のような店の様子は、かつての活気ある一乗谷の風情を思わせてくれます。
4-6.一乗谷朝倉氏遺跡資料館
長年の発掘調査の結果、一乗谷遺跡から出土した陶磁器類や金属製品、石製品などを展示しています。朝倉氏の歴史だけでなく、名もなき庶民たちの暮らしぶりもわかる内容となっていますね。
また一乗谷の繁栄ぶりを色濃く示す遺品も多数収蔵されていて、歴史ファンにとってはたまらない場所となっているのです。一乗谷遺跡から少し距離が離れていますが、一見の価値アリですね。
TEL:0776-41-2301
所在地:福井県福井市安波賀町4-10
4-7.朝倉氏の詰め城跡【一乗谷城跡】
谷筋沿いの一乗谷とは別に、東方の山上に詰め城ともいうべき城がありました。一乗谷城と呼ばれる山城で、いざ一乗谷が敵に攻められ危急に陥った際に、この城へ登って籠城するというものです。
麓から歩いて約一時間も掛かるという峻険な場所にあり、竪堀で堅固に防御された上、千畳敷や観音屋敷、宿直(とのい)などの御殿群と、一ノ丸などの曲輪群が展開しています。
朝倉氏は結局、この城を活用することなく滅亡しましたが、現在でもその遺構は明確に残っており、コアなファンがしばしば訪れていますね。
つわものどもが夢のあと…一乗谷へ行ってみよう!
一乗谷が繁栄したのはわずか100年ほどの短い期間でしたが、戦国時代の最中にあって稀に見る繁栄ぶりだったといいます。町全体が焼け落ちて以降は、埋もれるに任せていたところ、発掘が進んでようやく今日見られるような形となりました。最盛期には人口が1万を超えていたという文化都市の夢のあとを、ぜひ機会があれば訪れて頂きたいですね。