東アフリカ諸国
イル=ハン国領から戻ったイブン・バットゥータは、数年間メッカに滞在しました。1328年ころ、イブン・バットゥータはアラビア半島の南にある東アフリカに向けて旅立ちます。
アフリカの角とよばれるソマリアを経由し、モガディシオに到着しました。イブン・バットゥータはモガディシオを巨大な都市でエジプトなどからもたらされる高級織物などが販売されていたと記録します。
イブン・バットゥータはモガディシオからさらに南に旅し、現在のタンザニアにあたるキルワに到着しました。キルワのスルタンはマリンディからイニャンパネまでの地域を支配していたことなどがイブン・バットゥータの記述によってわかります。
黒人たちの国である東アフリカ諸国を見聞したイブン・バットゥータは、季節風に乗ってアラビア半島のメッカに戻りました。
小アジアから黒海沿岸へ
1330年、イブン・バットゥータは北インドのデリー周辺を支配していたイスラム王朝のトゥグルク朝を目指してメッカを旅立ちます。このとき、イブン・バットゥータはインド洋を直行するコースは選ばず、あえて遠回りになるルートを選択しました。
イブン・バットゥータはエジプトのカイロまで行き、そこから現在のイスラエル、レバノンを経由して小アジアに入ります。
小アジアでの彼の行動は、時系列の乱れなどから正確なことはわかりません。はっきりしているのは、小アジアを横断し、黒海北岸のシノペからクリミア半島のアゾフに到着したことです。
イブン・バットゥータはこの地域を支配していたキプチャク=ハン国のウズベク=ハンに一時的に仕えました。その後、イブン・バットゥータはウズベク=ハンがビザンツ帝国に派遣した使節団の一向に加わり、贈物を携えてコンスタンティノープルを訪問しました。
北インドを支配していたトゥグルク朝
キプチャク=ハン国に戻ったイブン・バットゥータはウズベク=ハンに報告を済ませた後、中央アジアからインドに向けて旅立ちます。1333年9月12日、イブン・バットゥータはインダス川に到達し北インドに入りました。
勃興したばかりのトゥグルク朝のスルタンであるムハンマドは統治の助けとなる人材を積極的に登用します。ハッジの称号を持つイブン・バットゥータも、統治に必要な人物と判断されトゥグルク朝に登用されました。スルタンはイブン・バットゥータを裁判官であるカーディに任命します。
しかし、イブン・バットゥータは非イスラム教徒(主にヒンドゥー教徒)が多いインドで、厳格なイスラム法を施行するのは難しいと判断しました。
イブン・バットゥータのトゥグルク朝滞在は6年に及びますが、その間、主君であるスルタンとイブン・バットゥータの関係は悪化。そのため、スルタンはイブン・バットゥータをインドから出してくれません。
イブン・バットゥータは元の使者が到着した機会をとらえ、中国行の使者を買って出ることでインドから出ることができました。
南インドとモルディヴ
1347年、イブン・バットゥータは中国に向かう使節団の一員となりました。途中、船が難破したことで南インドの各地を転々とします。イブン・バットゥータは南インドの島国であるモルディヴにも立ち寄りました。
この地は、イスラム教に改宗したばかりの土地です。ハッジの称号を持つ知識人であるイブン・バットゥータは、この地でも役人として登用されました。
イブン・バットゥータはイスラム法にのっとった厳格な統治を実施しますが、おおらかで開放的な島人たちから煙たがられてしまいます。
それを汐に、イブン・バットゥータはモルディヴを離れスリランカへと向かいました。その後、再び南インドに戻ったのち、ベンガル湾の最奥であるバングラデシュまで北上。1345年にようやく東南アジアへと向かうことができました。
東南アジアから中国へ
1345年、イブン・バットゥータはインドネシアのスマトラ島に到着します。スマトラ島北部のアチェ州は樟脳やクローブ、鉱産資源の錫などが取れる豊かな地域だと記録していますね。
スマトラ島は当時、イスラム勢力の東の果てでした。この島より西は非イスラム世界となります。スマトラ島を出たイブン・バットゥータはマレー半島を経てベトナムに入りました。
そして、ついに中国南部の福建省にある泉州の港に入港します。福建省の泉州はザイトンともよばれイスラム世界にも知られていた港でした。当時は、中国を支配する元の統治下にあります。泉州在住のイスラム商人たちは遠方からはるばるやってきたイブン・バットゥータを歓迎してくれました。
その後、イブン・バットゥータは杭州から大運河を北上し元の都である大都(今の北京)に到着します。その後、イブン・バットゥータはインドを経由して故郷のモロッコに帰りました。
ニジェール川流域を中心とした西アフリカ
モロッコに戻ったイブン・バットゥータはジブラルタル海峡を渡りイベリア半島のグラナダ王国を訪問します。グラナダから帰ったイブン・バットゥータはサハラ砂漠の南にあったマリ王国を目指す旅に出ました。
マリ王国の国王であるマンサ=ムーサは1324年に聖地巡礼を行うため北アフリカを旅行。そのとき、莫大な量の金を各地にばらまいたことから、マリ王国は黄金の国として語り継がれていたことでしょう。
イブン・バットゥータはサハラ砂漠を南下するキャラバンの一員としてマリ王国へと向かいました。このとき、イブン・バットゥータはニジェール川流域にあるトンブクトゥを訪れます。
西アフリカ滞在中、イブン・バットゥータは生まれて初めてカバを目にしたことを記録していますね。これだけ旅をした人でも、驚きの種は尽きなかったのかもしれません。