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地動説とは?唱えたのは誰?時代背景や天動説との違いなど徹底解説

惑星運動を数学的に分析:ヨハネス・ケプラー

ガリレオとほぼ同時期、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーも、コペルニクスの地動説を確信していました。

ケプラーは過去の考え方や推測にとらわれず、目の前の観測データを重視するやり方を貫き、高い評価を得た研究者です。

彼は多くのデータをもとに、コペルニクスの地動説を支持。さらに、惑星の軌道が円ではなくやや楕円形であることや、惑星が移動する速度などについても確認します。世にいう「ケプラーの法則」です。

ケプラーの緻密な計算により、太陽と地球を取り巻く環境はより正確に、明らかになっていきました。

ただ、当時はまだ、ケプラーの考え方がすべて受け入れられたわけではありませんでした。特に、「惑星の軌道が楕円である」という点については、疑問の声も少なくなかったようです。

万有引力の法則に導かれ:アイザック・ニュートン

とはいえ、ガリレオやケプラーといった学者たちの研究によって、長年息をひそめていた「地動説」が本格始動。世に認められるようになっていきます。

この「地動説」を確固たるものにしたのが、万有引力の法則で有名なイギリスの物理学者アイザック・ニュートンです。

ニュートンが生まれたのは17世紀半ば。ガリレオがこの世を去った後です。

ガリレオやケプラーによって、地球が太陽の周りをまわっているという考え方は一般的に広まっていました。しかし、何を動力として、どういう力が働いてまわるのか、それを説明することはできていなかったのです。

それを明らかにしたのがニュートン。彼は引力というものの存在を世に知らしめ、惑星にも太陽にも引力があると説明します。

そして、この引力こそが惑星の運動の源であり、本来まっすぐ動くべきところを、太陽に引っ張られて周回しているのだと言及。惑星の軌道が真円ではなく楕円になる可能性も示唆します。

これによって、古代ギリシャ、コペルニクス、ガリレオ、ケプラーが説いたそれぞれの地動説がぴったり合致。二千年にも及ぶ「地動説・天動説」問題に終止符が打たれたのです。

世界を揺るがす大論争!激しくぶつかり合った「地動説」と「天動説」

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「地球は丸い」「地球は回転している」「地球は回転しながら太陽の周りをまわっている」「地球の軌道は楕円形」などなど、現代ならこうした学説はごく当たり前の話になっていますが、これらはすべて先人の教えであり、私たち自身が実際に見に行ったり確かめたりすることはほぼ不可能なことばかり。古代や中世の人々が「太陽が地球の周りをまわっている」と思い込んで疑わなかったとしてもおかしくありません。しかし一方で、「天動説」を唱え続けた人々がいたからこそ、わずかな矛盾点が浮き彫りになり、「地動説」へとつながっていったという見方もできるでしょう。何事も、失敗や誤解を恐れず、反対意見と真剣に向き合うことが大切。二千年以上もの歳月をかけて、「地動説」は私たちにそう語りかけているのかもしれません。

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