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「ドヴォルザーク」とは?「新世界より」「スラヴ舞曲集」を作曲した音楽家の生涯を元予備校講師がわかりやすく解説

高まる国際的評価

「スラヴ舞曲集」を成功させたドヴォルザークに対し、出版社のジムロックは数多くの小品を作曲するよう依頼します。ドヴォルザークはこうした依頼に応えつつ、ヴァイオリン協奏曲や「ジプシーの歌」を書き上げました。

「ジプシーの歌」の中には、現代でもよく歌われる「わが母の教えたまいし歌」も含まれます。ソプラノの歌声が美しい曲ですね。

1884年、ドヴォルザークはイギリスのロンドンフィルハーモニック協会の招きに応じてロンドンを訪れます。ロンドンの聴衆はドヴォルザークを大歓迎。ドヴォルザークは何度もお辞儀をして大観衆の歓迎に応えました。

ドヴォルザークとイギリスは相性が良かったようで、生涯で9度もイギリスを訪問しています。

1888年、ドヴォルザークはプラハに来訪したロシアの作曲家チャイコフスキーと親交を結び、1890年にはロシアを訪れました。ドヴォルザークは各国のアカデミー会員や大学の名誉教授号などを贈られ国際的名声を高めます。

ドヴォルザークの渡米と帰欧

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ヨーロッパで名声を確たるものにしたドヴォルザークは新興国アメリカからのオファーを受け、ニューヨーク音楽院院長に就任します。新大陸で新たな刺激を得たドヴォルザークは交響曲第9番「新世界より」を作曲。今日でも数多く演奏される名曲が誕生しました。ドヴォルザークがアメリカからチェコに帰国した後、彼は死ぬまでチェコの地を離れません。ドヴォルザークは音楽史に大きな足跡を残し1904年にチェコのプラハでなくなりました。

ニューヨーク音楽院院長への就任

ヨーロッパで数々の賞を受賞し、コンテストの審査員を務めるなどブラームスに並ぶ名声を受けていたドヴォルザークは、アメリカのニューヨーク・ナショナル音楽院から院長に就任してほしいとのオファーを受けます。

理事長のサーバーの熱心な説得と高額な年俸提示により、ドヴォルザークは新興国アメリカにわたりました。

南北戦争の混乱から立ち直り、経済的な力をつけてきたアメリカでしたが、音楽などの文化面では、まだまだヨーロッパに比べて遅れています。

アメリカ市民たちはヨーロッパからやってきた高名な音楽家の渡米を大いに歓迎しました。ドヴォルザークはニューヨークに到着すると、さっそく講義を開始。アメリカで音楽家の育成に励みます

新天地アメリカで作曲された新しい曲

ドヴォルザークは1892年から1895年までアメリカに滞在します。その間、ニューヨークにあるナショナル音楽院の院長として教鞭をとりました。

交響曲第9番「新世界より」は、アメリカの音楽を取り入れつつも、古典的な形式にのっとって作曲された交響曲です。メロディーがわかりやすく、親しみやすいことからドヴォルザークの楽曲の中でも特に人気があり、今でもよく演奏されますね。

第二楽章のラルゴのメインテーマは、歌詞をつけて歌われるほど人気となりました。第四楽章のアレグロ・コン・フォーコは低音から始まり一気に盛り上がる劇的な曲調です。

ドヴォルザークは他にも弦楽四重奏曲「アメリカ」チェロ協奏曲を作曲しました。どちらも、アメリカ時代を代表する名曲と評されます。

ドヴォルザークの帰欧と死

1894年、ニューヨークでの激務の合間を縫って故郷のチェコに帰省します。5か月間の休暇の後にニューヨークに戻りましたが、ドヴォルザークの望郷の念は募る一方でした。

1895年4月、チェロ協奏曲の完成をもってドヴォルザークはアメリカを去ります。故郷に戻ったドヴォルザークはプラハ音楽院で再び教鞭をとりました。

帰国したドヴォルザークはウィーン楽友協会の名誉会員やオーストリアの芸術科学名誉勲章など数々の栄誉を与えられます。1901年にはプラハ音楽院の院長にも就任しました。

この間、ドヴォルザークはウィーン音楽院教授への就任が要請されましたが断ります。故郷であるチェコから離れたくないという思いが強まっていたからかもしれませんね。

1904年、ドヴォルザークは昼食後に体調が悪化。そのまま、息を引き取ります。死因は脳卒中だといわれていますね。ドヴォルザークの葬儀は国葬とされ、ヴィシェフラット民族墓地に埋葬されました。

チェコを代表する音楽家にして、アメリカでも活躍した偉大な作曲家

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肉屋の息子という音楽と縁遠い世界に生まれながら、天性の才能を発揮したドヴォルザークはチェコ人の音楽を土台として「スラヴ舞曲集」を作曲。スメタナとともに国民楽派の旗手と目されました。「新世界より」は今でも多くの人たちの耳を楽しませてくれる名曲です。親しみやすいメロディーで人々の心をつかんだドヴォルザークは異なる文明である日本の人々にも親しまれる作曲家となりました。

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