日本の歴史江戸時代

江戸後期の復興請負人「二宮金次郎」はどんな人?元予備校講師がわかりやすく解説

「報徳仕法」の実践により各地を復興

二宮金次郎による再建手法を「報徳仕法」といいます。金次郎はどの地域を復興させるときも厳密な現地視察を重んじました。

報徳仕法の中核となるのは、各自が身の丈に合った生活の支出限度を決める「分度」と、将来に備えて貯蓄することや困っている人を助ける「推譲」です。現代風に言い換えれば、支出を見直し、事業拡大のための拡大再生産をおこなうということですね。

家や組織の財政を再建するには、支出を減らすか収入を増やすかしかありません。しかし、どちらか一つでは片手落ちになってしまいます。金次郎は支出削減と将来への投資の両方を実行することで中・長期的に家や村、藩の財政を再建しました。

そのため、金次郎の手法は普遍性を持ちます。地域による特殊事情はあるにせよ、財政再建のためには支出削減と貯蓄・拡大再生産が重要だという点は変わりません

天保の大飢饉から小田原藩を救った二宮金次郎

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1833年、天候不順などが原因となる天保の大飢饉が始まりました。小田原藩でも多くの人々が飢えに苦しみます。この時、病の床にあった藩主の大久保忠真は金次郎を呼び寄せ、小田原藩の救済を命じられました。金次郎は小田原藩の家臣たちを説き伏せ、藩の蔵米を供出させ農民たちを飢えから救います。その後、金次郎は幕府に召し抱えられ農村復興の請負人となりました。

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