日本の歴史

どうして「慰安婦問題」は解消されないの?歴史系ライターがその謎に挑んでみた

日韓請求権協定はあくまで経済協力金?

日韓請求権協定によって、韓国は無償3億、有償2億という経済協力金を得ることができました。それを元手に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を果たすことになるのですが、実は「植民地支配に伴う被害の補償」という性格のものではありません。

 

「何か、請求権が経済協力という形に変わったというような考え方を持ち、したがって、経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らとの間に関係はございません。

あくまで有償・無償五億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、これに対して日本も、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのです。合意したのでございます。その間に何ら関係ございません。

英国であるとかフランスなんか、旧領地を解放して、そうして新しい独立国が生まれた際にも、やはり、この経済的な前途を支持する、あるいは新しい国家の誕生を祝う、こういう意味において相当な経済協力をしておる。その例と全然同じであります。」

引用元 「昭和40年11月19日、参議院会議録」より

 

当時の椎名国務大臣が述べた通り、あくまで経済協力金並びに独立祝賀金という性格のものであって、賠償の性格を持たない経済援助だったといえるでしょう。

また韓国銀行国庫部長だった李相徳が発言したとされる「補償金支払い問題だが、我々は我々の国内問題として措置する考えであり、この問題は人員数とか金額の問題があるが、とにかくその支払いはわが政府の手でする。」という言質を取って、あの時、韓国側はこう言ったんだから韓国政府に請求するべき。という意見がありますが、合意議事録に反映されていない以上、それは無効なことでしょう。

最も根本的なこととして、賠償の意味を持たない経済協力金を韓国側がどのように使おうが内政的なことであり、それに対してとやかく言えないということなのです。

実は消滅していない個人賠償請求

慰安婦問題の話に戻りましょう。ちなみに日韓請求権協定の合意議事録には以下のような文言がありますね。

「完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権」

これは国家間レベルの請求権を相互に放棄し 、個人請求と補償に関しては互いに外交的保護権は行使しないということなのです。わかりやすく言えば「個人賠償請求権は消滅しておらず、国を相手取って訴訟ができる」ことを意味します。

 

「いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけです。その意味するところですが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということですけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。

従いまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」

引用元 「平成3年8月27日、参議院会議録」より

 

このように戦時個人賠償と「日韓基本条約」「日韓請求権協定」とはまったく関連性がありません。現実的に元慰安婦が日本国を相手取って訴訟を起こすということも当然の権利ですし、それを日本の司法がどう判断するかということだけですね。

一連の慰安婦訴訟においては、被害を受けたとする「事実認定」がされていますし、国家無答責の定理によって賠償請求が認められないということです。「国家無答責」とは、昭和22年に制定された国家賠償法が施行する以前の個人の損害については国は賠償責任を負わないとするものですね。

ちなみに今回、日本人の多くが憤慨している「徴用工裁判」では、韓国の大法院が「個人請求権」に重きを置いて判決を下したということなのでしょう。日本と韓国の司法判断の違いということかも知れません。

日韓双方の歩み寄りと瓦解

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そんな慰安婦問題も雪解けの時を迎えたのが平成27年でした。ようやく日韓が歩み寄り問題が解決に向かうと思われましたが…

「和解・癒し財団」の発足

平成7年、元慰安婦たちの支援を目的とした「女性のためのアジア平和国民基金」が発足。しかし償い金の多くが日本政府からの拠出ではなく、日本国民からの募金であることに市民団体やメディアなどから猛反発を受けることに。その結果、平成14年に事業を停止しました。

そして平成27年、当時の朴槿恵大統領安倍晋三首相との間で「慰安婦問題日韓合意」がなされ、日本政府による資金供出のうえ「和解・癒し財団」が発足しました。慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的な解決」をしたと合意したのです。

しかし見舞金の受け取りを拒否する元慰安婦や家族も多く、そのスタートには暗雲が立ち込めていました。

対立と瓦解

しかしせっかくスタートした「和解・癒し財団」も長くは続きませんでした。日韓合意の当事者、朴槿恵が友人を政治介入させたとの弾劾を受け、大統領を罷免されてしまったのです。

その後、新しく韓国大統領となったのが文在寅でした。彼は「対日5大歴史懸案」を掲げて日本に対し強硬な態度に出てきたのでした。国家間の約束である慰安婦問題日韓合意すら反故にし、和解・癒し財団を解散させた張本人だといえるでしょう。

まさに日本にとっては寝耳に水で、重要な国家間の合意事項を、まるでちゃぶ台をひっくり返すかのように反故にする姿に驚愕した日本人も多かったのではないでしょうか。文在寅大統領が求めているのは「賠償金」でも「おわびの手紙」でもなく、国会決議をした上での政府による公式謝罪なのでしょう。

今後「慰安婦問題」はどうなっていくのか

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日韓関係は冷え込んでいますが、どうやら韓国側の政権が変わるまでは出口が見えないようですね。ただ日本の国策の犠牲になった慰安婦たちの存在は忘れてはいけないでしょう。韓国人慰安婦のことばかりがクローズアップされていますが、戦時中にはたくさんの日本人慰安婦たちもいたはずです。お国のためだといって戦地で亡くなった方、戦後何も言わずにずっと口をつぐんでばかりだった人。筆者はそんな人たちを「ただの売春婦」だと呼びたくはありません。悲しい歴史の中で生きてきた慰安婦たちの真実の姿も知っておくべきではないでしょうか。

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明石則実