「パリ条約」は1763年?1883年?数あるパリ条約をわかりやすく解説
パリ条約(1883年)~工業所有権の保護に関するパリ条約
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「条約」と聞くと、大きな戦争や国同士の争いを鎮めるためのものという印象がありますが、現代社会では、国家間の権利の保護などを明確にする目的で取り交わされることも多いようです。有名なものに工業所有権の保護の関する条約があります。内容は非常に難しそうですが、どのようなものか、ざくっと見ていくことにしましょう。
海外で特許や商標権を取るにはどうすればいい?
19世紀後半になると、世界の国々は近代的な工場で様々な製品を生産するようになります。単に物資をやり取りするだけでなく、それらを作り出すための技術そのものにも注目が集まるようになっていくのです。
そこで問題になるのが、特許や商標といったものをどう維持するか。それぞれの国が技術の保護や権利を主張するためには、国を超えた法律や条例の整備が不可欠となります。
そうした時代の流れから締結されたのが「1883年のパリ条約」です。
特許権、商標権等の工業所有権の保護を目的とした「万国工業所有権保護同盟条約」。タバコや酒造、農産物なども含まれています。
この条約はこの後も、時代の流れとともに必要事項が追加改正され続けており、現在も継続中。日本も1899年(明治32年)に加入しています。
国際社会の幕開け~パリ条約の三大原則とは何か
パリ条約には「パリ条約の三大原則」と呼ばれる項目が記載されています。
まず「内国民待遇の原則」。同盟国の国民に対して、自国民より不利な待遇をしてはいけません、という意味の文言です。
そして「優先権制度」。外国で特許や商標登録をしようとするとき、どうしても、法律や文化の違いや言葉の壁などが行く手を阻みます。つまり、何をするにも時間がかかるということです。こうしたことが足かせになってはいけないというところから、複数の同盟国に出願する際の優先権制度を定めています。
さらに「各国特許独立の原則」。こちらも、複数の国に対して特許出願する場合などに考慮されるもので、他の国での特許取得の動向に左右されることなく独立していることが盛り込まれています。●国で特許申請が無効になったからといって▲国でも無効になるということはなく、逆に▲国で特許をとれたからといって●国でも取れるということでもない、と解釈してよさそうです。
まだまだある!世界の歴史と深くつながる「パリ条約」の数々
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調べてみると13世紀頃から、何年かに1度のペースで「パリ条約」と呼ばれる講和会議が行われていたようです。条約にはそれなりの場所の準備も必要ですし、各国の言葉や文化を理解できる通訳なども用意しなければなりません。これだけ何度も締結の場に選ばれたということからも、パリという都市が長年、列強国ひしめくヨーロッパの中心にあったことが伺えます。数々の「パリ条約」について調べることで、ヨーロッパの歴史をより深く知ることができそうです。