田中金脈問題と内閣総辞職
1974年7月、参議院選挙が行われました。田中はヘリコプターで全国各地を精力的に遊説しますが、議席は伸び悩み、自民党はあと一歩というところで過半数確保を逃しました。求心力が低下しつつも、日本列島改造改造という重要課題に取り組む田中内閣に大スキャンダルが持ち上がります。
スキャンダルの始まりは『文藝春秋』が立花隆の「田中角栄研究」、児玉隆也の「淋しき越山会の女王」を掲載したことでした。立花は田中のファミリー企業が買った土地が建設省の工事で買収され巨額の利益を上げたことを暴露。児玉は田中の支持団体「越山会」の金庫番である佐藤昭と田中の関係を書きます。
外国人特派員協会で田中は金脈問題を追及されました。さらに、追求が国会に及び田中政権維持を断念します。1974年12月、田中は内閣総辞職を行いました。次の首相となったのは三木武夫です。
ロッキード事件
1976年、アメリカでロッキード社が世界各国に贈賄工作を仕掛けていたことが発覚します。当時、ロッキード社が社運をかけて開発した旅客機「トライスター」の販売が不振でした。ロッキード社は各国政府や航空会社にトライスター採用を働きかけていました。その際、各国の有力政治家などに賄賂を贈っていたことが明るみに出ました。
日本では商社の丸紅を通じたルート、全日空を通じたルート、正解に影響力を持つとされた児玉誉士夫を通じたルートの3ルートが明らかになります。
検察による捜査の結果、元運輸大臣の橋本登美三郎、元運輸政務次官の佐藤孝行、そして元首相の田中角栄が逮捕されました。首相経験者の逮捕は戦後直後の芦田均以来の出来事です。
ロッキード事件で起訴された田中は全面的に争いました。しかし、一審、二審ともに田中の有罪。最高裁で審理中に田中が死去し、公訴棄却となりました。
目白の闇将軍
異例のスピードで首相への会談を駆け上がった田中角栄。ロッキード事件で逮捕され、起訴されても彼の力は衰えませんでした。自民党こそ離党しますが、総裁選挙では大平や中曽根を支持し存在感を見せ付けます。総裁選挙のキーマンとして影響力を及ぼしたので、田中は目白の闇将軍とあだ名されました。しかし、竹下登が田中派から独立すると影響力を大きくそがれます。闇将軍と言えど、時代の変化には勝てなかったようですね。
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