ヨーロッパの歴史ロシア

ロシアに20年近く君臨する「プーチン」登場の背景と政権を元予備校講師が解説

急激な資本主義化と経済の混乱

ロシア共和国は国名をロシア連邦と改め、エリツィンが初代連邦大統領となります。エリツィンは若手の改革派を登用し自由主義・市場経済を導入しました。このとき、段階的にではなく一気に自由主義・市場経済を導入したことでロシア社会は大きな混乱状態に見舞われます。

その結果、2,500%を越える異常なインフレが発生しました。多くの人々の貯蓄や資産は失われ、人々は未来への希望を失ってしまいます。

不満の高まりを受け、反大統領派は最高会議ビルに立てこもりましたが、エリツィンは反対派を武力で弾圧しました。

1994年、ロシア連邦に属していたチェチェン共和国が独立を宣言。エリツィンは軍を派遣して鎮圧をはかりました。しかし、経済混乱のせいで弱体化していたロシア軍はチェチェンの武装勢力を鎮圧できません。エリツィンは経済的な混乱を改善できないばかりか、軍事面でも弱さを見せてしまいました。

エリツィンによるプーチンの後継者指名

混乱する経済状態を改善するため、エリツィンは次々と首相を交代させました。しかし、どの首相も効果的な経済政策を打ち出せません。こうした状況の中で、プーチンは副首相、のちに首相代行に任命されたのです。

首相代行就任後1週間ほどでプーチンは正式に首相に任命されました。プーチンは首相就任直後に発生したロシア高層アパート連続爆破事件に対し、実行犯はチェチェンの武装勢力であると断定。チェチェンの武装勢力が隣接するダゲスタンに侵攻したことも踏まえて、プーチンはチェチェン人武装勢力の掃討を決断します。

1999年9月、ロシア軍はチェチェンの首都グロズヌイを空爆しました。プーチンの妥協しない姿勢は国民の支持を受けます。1999年12月31日、エリツィン大統領は突然、健康上の理由で政界引退を発表。後継者にプーチン首相を指名しました。

プーチン政権の政策

image by PIXTA / 19969329

大統領となったプーチンは「強いロシア」の実現を目指し、強力なリーダーシップを発揮します。市場経済移行時に国有企業などを得た新興財閥と対決しました。また、弱まっていた中央政府の力を強め、中央集権を進めます。さらに、弱体化していた軍事力も再建。軍事大国として復活させました。隣国との領土問題・民族問題では妥協せず、グルジアに出兵しました。

資源企業の国有化と新興財閥との対決

エリツィン政権時代、急激な市場経済化の波に乗って国有企業を得たのが新興財閥(オリガルヒ)でした。オリガルヒは政権に密着することで、国有企業を破格の値段で手に入れ富を蓄えます。

プーチンは警察・軍の力を強化し、オリガルヒの脱税を取り締まりを強化。オリガルヒもメディアなどを使って反撃しましたが、プーチンは逆らうオリガルヒのトップを脱税などの容疑で次々と逮捕しました。結局、オリガルヒはプーチンに屈服します。

これにより国家財政が改善しました。さらに、プーチンは石油や天然ガスなど重要資源を扱う会社を半国営化。資源の輸出によって得られる富を国庫にため込みました。

リーマンショックによる混乱で資金難に陥ったオリガルヒはプーチンが持つ国の富で救済されますが、プーチンの経済界に対する影響力がますます強まります。

中央集権の強化と軍事力の増強

エリツィン政権の末期、中央政府が混乱し統制が緩やかになったため地方は独自の動きを強めます。このままでは、独立を宣言する地方が現れロシア連邦が崩壊してしまうかもしれません。そこで、プーチンは地方の知事を任命制にするなど中央政府の権限を強めました

また、プーチン政権は弱体化したロシア連邦軍の再建にも努めます。プーチンは軍需産業の振興士官候補生養成のための寄宿制の学校を各地に設立し人材確保に努めました。

旧世代の装備や実態に合わない師団の解体も実施し、軍事力の近代化も図ります。旧ソ連時代ほどの軍事力を回復したとは言い難いですが、ソ連崩壊後の混乱状態からは脱したといってもいいでしょう。実際、再編されたロシア軍はグルジア侵攻で活動しています。

グルジア侵攻

1991年のソ連崩壊で周辺諸国は次々と独立していきました。黒海に面したグルジアもソ連から独立します。グルジアでは2003年、「バラ革命」とよばれる民主化が起きました。しかし、国内は決してバラ色というわけではありません。

グルジア西部のアブハジアやコーカサス山脈沿いの南オセチアではグルジア政府に反対する動きが見られました。2008年、南オセチアのオセット人はグルジアからの独立を宣言。グルジアはこれをみとめず、南オセチアに軍を派遣しました。

この事態に対し、ロシアの実権を握るプーチン首相(2008年からは大統領はメドヴェージェフ、首相はプーチン)はグルジア侵攻を決定。ロシア軍はグルジア軍相手に強さを見せつけました。この時、西部のアブハジアにもロシア軍は侵攻します。ちなみに、グルジアの現在の国名はジョージア。ロシア語読みではなく、英語読みの国名になっていますよ。

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