日本の歴史昭和

戦後日本を揺るがした「浅間山荘事件」とは?わかりやすく解説

警察による大量逮捕

こうした総括によって得られたものは連合赤軍内の団結ではなく、内部崩壊と内ゲバのみでした。さらに連合赤軍のありかを警察はこの時から掴んでおり妙義山や榛名山などに350人体制で包囲。この動きを察知した連合赤軍は群馬県から山を越えて長野県に逃れようと行動を開始します。

しかし、森恒夫と永田洋子もベースに戻ったところを警察に逮捕され、さらには軽井沢になんとか到達したメンバーも長い間風呂に入っていなかったことが不審に思われ最終的に逮捕されることとなりました。

連合赤軍は最初29人いたのですが、山岳ベース事件によって12人、4名が脱走、8人が逮捕されてこの時にわずか5人を残すまでになっていました。

浅間山荘への立てこもり

なんとかこれまで警察に逮捕されなかった5人のメンバーははじめは軽井沢のさつき山荘へと逃げ込みます。ここで5人は食事をとって休息することになるのですが、警察の捜査が迫っていると聞くとすぐさま脱出。行き当たりばったりの状態の末にたどり着いたのが浅間山荘だったのです。浅間山荘には管理人の妻しかおらずここを立てこもりの場所として使うことにし、管理人の妻を人質としてここでしばらくの間はやり過ごすことにしたのでした。

警察と連合赤軍の激しい攻防

浅間山荘に立てこもったことを知った警察はすぐさま現場に急行。人質解放を優先した警察はなんとか穏便に解決しようとまずはメンバーの家族による説得作戦を行います。

しかし、この説得作戦は失敗。警察はこの動きを見て仕方なく機動隊による実力行使に移っていくことになりました。

いわゆるみなさんも一度は見たことがあるかもしれない鉄球作戦です。この鉄球作戦によって浅間山荘は物理的に破壊。立てこもりなどできない状態にして、浅間山荘に放水、擬音や投石が行われていました。再び家族による説得、また放水と繰り返されていきます。

さらに兵糧攻めのような状態であったため5人のメンバーは徐々に疲弊。抵抗が薄くなっていったことを受けて機動隊は放水と催涙ガス弾が撃ち込み総攻撃を開始

バリケードを破って鉄球を使いその穴から機動隊が突入。メンバー5人が全員逮捕され人質も解放されました。

浅間山荘事件のその後

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浅間山荘に立てこもった5人が逮捕されたのち、連合赤軍の証言にて連合赤軍による山岳ベース事件や印旗沼事件などが発覚することになります。

これによる日本の影響は甚大なものでこれまで左翼活動を支援していた人たちはこのようなテロ行為や内ゲバ騒動を起こしていることを聞くと一目散に関わることをやめ、日本における新左翼運動は火が消えるように衰退していき、ここから逆に右傾化とも取れるように左翼活動に対して警戒心を抱き始めることとなりました。

メンバーの方はというと山岳ベース事件を起こした張本人である森恒夫は自分のその後を悲観視して獄中で自殺。永田洋子は死刑判決を受けましたが、執行前に獄死することになりました。

浅間山荘に立てこもった5人は坂下弘の死刑判決を始め全員有罪判決を受けることになり、ましたが、その後日本外でテロ行為を行なっていく日本赤軍の活動もあり、坂東國男は超法規措置により釈放。今でも国外で活動を行なって国際指名手配を受けています。

浅間山荘事件は日本の国民に衝撃を与えた

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By nattou – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link

浅間山荘事件は日本国民にかなりを衝撃を与え、ここから日本の左翼運動は転機を迎えるほど重要な事件でもありました。

浅間山荘事件はまさしく日本の政治史にも残るような大事件だったのですね。

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