始皇帝の全国巡幸と不老不死の願い
始皇帝は全国を統一したのち、何度も各地を巡幸しています。巡幸の目的は民に皇帝の権威を見せつけることでした。始皇帝が巡幸する場所には新たに道路が作られます。
紀元前219年の巡幸では霊山である泰山に登り、天地の神をまつる封禅の儀式をおこないました。その後、始皇帝は山東半島をめぐります。始皇帝が不老不死への関心を積極的に見せるのはこの時期からのようです。
始皇帝は方士(不老不死の秘術を会得したとされる人)を呼び寄せ、不老不死の方法を尋ねました。その中の一人が日本に来たと伝えられる徐福です。
結局、始皇帝は方士たちから不老不死の秘術を聞き出すことはできませんでした。紀元前210年、始皇帝は巡幸先で体調を崩します。症状は徐々に深刻となり、旅先で亡くなりました。
始皇死して地分かたる
『史記』によると、紀元前211年、東郡という場所に落下した隕石に「始皇死而地分」と刻まれていたといいます。内容の真偽はともかく、実際の歴史はまさにその通りとなりました。始皇帝の死後、二世皇帝は統治に失敗。大農民反乱による混乱の中、始皇帝の秦帝国は滅亡してしまいました。しかし、秦の政治システムは次の王朝である漢に引き継がれます。始皇帝のシステムは中国統治の仕組みとして有効だったことがうかがえますね。