日本の歴史

TAKARAZUKA_REVUE!~宝塚歌劇団100年の歴史と時代を彩ったトップスターたち~

~高度成長期~「ベルばら」と空前の宝塚ブーム

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日本が高度経済成長を遂げつつあった1960~70年代、宝塚歌劇も転換期を迎えます。日本人の娯楽の多様化に伴って、より新しく斬新な作品作りが求められたからでした。

海外の新しいパワーを取り入れていく宝塚歌劇

1964年に東京オリンピックが開催され、人々や世間が日本国内から世界へと目を向けていった時期、宝塚歌劇も海外の新しいパワーを取り入れることに取り組んでいました。

「鬼の振付師」といわれたパディ・ストーンのよる「シャンゴ」をはじめとして、一連のミュージカルショー作品により、宝塚歌劇に格段のダンス技術の向上がもたらされることになりました。1967年には「オクラホマ!」、翌年には「ウエストサイド物語」といったブロードウェイの大ヒットミュージカルも上演され、これまでの宝塚歌劇とは違うイメージの作品作りにも積極的にトライしていた時期だったのです。

この時代の挑戦があったからこそ、後年にはミュージカル作品、映画作品、小説、漫画作品などジャンルに囚われない自由な作品が出来上がっていったのでしょうね。

不朽の名作「ベルサイユのばら」が大ヒット!

宝塚歌劇が60周年を迎えた1974年、まさにタカラヅカの代名詞ともいえる名作が誕生しました。

池田理代子の漫画作品「ベルサイユのばら」が上演されるや、漫画の人気と相まって観客動員140万人という空前の大ヒットとなり、社会現象にもなりました。その影響を受けたために、宝塚音楽学校への入学倍率が跳ね上がったのもこの頃のことです。

「ベルばら」はこれまでに地方公演と含めて数えきれないほど上演されており、まさに代表作ともいえるのではないでしょうか。

この空前のタカラヅカブームに拍車を掛けるように1977年には「風と共に去りぬ」が初演。こちらも観客動員は134万人となっており、宝塚歌劇の人気と存在感は不動のものとなったのです。

宝塚歌劇を彩ったトップスターたち♯4【汀夏子】

宝塚音楽学校を首席で卒業後、雪組へ。初演時の「ベルサイユのばら」でオスカルを演じて人気が爆発します。

さらに「星影の人」では沖田総司役でトップスターの座を不動のものとし、主演した新宿コマ劇場公演では、観客動員新記録を樹立しました。

宝塚歌劇団の中で、観客動員力が最も大きかったタカラジェンヌだといわれています。

~発展期~宝塚新劇場と100周年

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時代は1980年代を迎え、宝塚歌劇はますます発展の時を迎えます。ここからは新しい劇場がオープンし、阪神淡路大震災の悲しい記憶を乗り越え、そして100年目を迎えた宝塚歌劇をご紹介していきましょう。

新宝塚大劇場オープン!新たな歴史を刻むタカラヅカ

1987年、日本最初のレビュー「モンパリ」上演から60年目。その年から9月1日は「レビュー記念日」として決められ、その日の公演終了後に出演者が「レビュー記念日賛歌」を歌うことになりました。観客にも記念品やノベルティがプレゼントされるとのことで、大変な人気がありますね。

1993年には新宝塚大劇場がオープン。こけら落とし公演は星組「宝寿頌」「PARFUM DE PARIS」が上演され、宝塚歌劇も新しい時代を迎えました。

しかしそんな矢先の1995年、阪神淡路大震災が起こりました。出演者に死者は出なかったものの、宝塚大劇場では公演がストップし、観客動員を含めたその影響は長く続いたのです。

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明石則実