幕末日本の歴史江戸時代

日本を開国させた「日米和親条約」日本初の日米交渉について解説

ペリー来航後の幕府の対応

ペリーの退去からわずか10日後に徳川家慶が死去。さらに後継である徳川家定も病弱な上にあまり国政を担うような人物ではなく幕府は大混乱に陥ります。阿部正弘は江戸幕府が開かれてから異例である外様大名や庶民に対して対応案を考えるように促しましたが、結局名案は出ずにさらに幕府が外様大名にまで意見を求めたことが理由で薩摩藩などの強大な力を持っている藩が幕政に介入するという事態を招いてしまいました。

しかし、幕府側も黙って入られません。次に蒸気船が来てもなんとかするために江戸湾に台場を建設。今のお台場がある付近に大砲を取り付けてさらに大船建造の禁も解除するなどアメリカとの対抗策に打って出ました。

しかし、アメリカ側は日本を考えていた範疇をはるかに超える行動を行なったのです。

2回目の浦賀来航

1854年2月13日、香港にて留まっていたペリーは将軍である徳川家慶が亡くなったことや、ロシアのプチャーチンが日本を狙っているということを聞き半年で日本に再来航。対策を講じていなかった日本はアメリカの予想を上回る行動に再び大混乱に陥りました。さらに今度は4隻ではなく9隻。これには幕府もお手上げで仕方なくアメリカとの交渉が始まったのでした。

日米和親条約の締結までの道のり

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こうして交渉が開始した日米和親条約ですが、アメリカの狙いは

・補給基地を確保すること

・漂流民の保護

・アメリカとの交易

の三つ。

対する日本はなんとかして被害を最小限にとどめようと必死でした。日本側の代表は林大学頭。今で言うところの東大のトップ教授みたいな人でした。

ペリーは日本にこの三つの条件を飲むように恫喝するのですが、林大学頭は補給基地も漂流民の保護は認めるとして交易はしないときっぱりと主張。ペリーの主張をなんとかかわし続けて第2回交渉に持ち越しとなりました。

アメリカと日本の交易の行方

こうして第二回日米交渉がはじまりまりましたが、ここにおける最大の内容は補給基地はどこにするのかとアメリカとの貿易はするのかということ。

これまで日本の補給基地は長崎ぐらいだったのですが、ペリーは長崎では少し不便なため長崎のほかにさらに8つの港を開港してほしいと要求しました。

林大学頭はペリーのこの強引とも言えるような要求を使って「そんな要求をするのであればどうして1回目の来航の時に言わなかったのだ?そうすればこちらも対応できたのに」と真っ向から反論。これにはペリーもぐうの音がですペリーは譲歩を余儀なくされました。

講じて第二回日米交渉が終わり、第三回日米交渉が開始。

この交渉にて日本は伊豆半島の南端である下田と北海道の箱館を開くことで合意。さらに通称もなかったことにされ日本が望んでいた最小限の被害に抑えることに成功したのでした。

日米和親条約の内容

こうして紆余曲折ありながらなんとか締結に持ち込めたアメリカと日本。そして1854年に遂に日米和親条約が締結されることになりました。

日米和親条約は主に12条からなり、その内容は上でも取り上げられたように漂流民の保護や補給に関するもの。

交易に関することが結ばれなかった点から見るとアメリカが一部譲歩したことが伺えますが、アメリカはこの時片務的最恵国待遇という「日本がほかの国と条約を結んだら同じ内容のことをアメリカとも結ぶ」という少し不平等な内容が含まれていました。

しかし、それでもアメリカと日本はいざこざが起こることもなく、友好的に条約を結べたことは良しといってもいいかもしれません。

日米和親条約

第1条:日米間は人と場所に関わらずに永久的に友好関係にあること。

第2条:下田と箱館を開港して日本はアメリカは食料や燃料などの物資供給を受けるようにすること。

第3条:アメリカの船が難破やした時には日本は乗組員の身柄を保護してアメリカ側に引き渡すこと。

第4条:アメリカ人の遭難者にたいする権利は他の国においてと同様に自由であること。

第5条:下田と箱館に居留するアメリカ人は長崎に居留する他国の人々のように行動を制限されないこと。

第6条:他に物品のやりとりや取り決めなど必要とされる事態が発生した場合は日米間で協議すること。

第7条:下田と箱館では金貨と銀貨での購買や物々交換をすることができること。

第8条:物品を調達する際には日本が世話をすること。

第9条:アメリカに片務的最恵国待遇を与えること。

第10条:悪天候など特別な場合を除いてアメリカは下田と箱館以外へ来航してはならないこと。

第11条:アメリカと日本のどちらかが必要とした場合には条約が締結してから18ヶ月以降たてばアメリカは下田に領事を置くことができること。

第12条:両国はこの条約を守る義務があることとともにアメリカと日本はは18ヶ月以内にこの条約を批准すること。

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