5-3.畳のない簡素な住空間
城主のいる館の造りは非常に簡素でした。日本家屋独特の畳がまずありませんから、ほとんどの場合は板間で生活していたようです。
また固い板間が基本ですから、当時は正座という習慣はありません。家臣たちは主君の前に座る際も胡坐(あぐら)をかいていました。大河ドラマのシーンでも再現されていますが、女性の場合は片膝をついて座っていたようですね。
当時から障子(しょうじ)は存在していたものの、ほとんど実用的なものではありません。寺院や書院造などに使われている程度で、多くの場合は襖(ふすま)や板戸が一般的でした。冬の寒い時期や寒冷地などでは建物の防寒対策より、なるべく多く着込むことで寒さをしのぐという対策が取られていました。
5-4.体を鍛えることも城主の仕事
戦いを生業としていた武士たちは、日頃からの鍛錬は絶対に欠かせません。どんなに執務が忙しかろうが体を鍛えておかねば戦場で戦えないわけです。
それは城主クラスも同じで、自分が鍛錬することで家臣たちにやる気を起こさせるという効果があったようですね。誰よりも率先垂範して見本となる必要があったのでしょう。また、そういった城主の姿は近隣にも聞こえることとなります。「あそこの殿様は筋骨たくましく、なかなかのやり手だそうだ」という噂が流れることで、周囲を畏怖せしめることも可能だったわけです。
具体的には槍や弓矢といった武芸、水練、馬術など多岐にわたりました。また鷹狩なども野外演習の一環ですから、好む城主も多かったようですね。
5-5.女性や子供の生活はどうだった?
城や館にいるのは城主をはじめ男性ばかりではありません。正室や側室、子供たち、乳母、雑事をこなす人々など多くの女性たちもいました。
城主の正室・側室そして子供たちは優雅に日常を過ごしていたわけではありません。正室には正室の仕事がありますし、側室には子供を産み育てるという大事な役目があります。また子供たちも幼い頃から将来へ向けての経験を積んでいくこととなるのです。
男子は武芸や教養を身に付け、女子もまた他家へ嫁ぐための礼儀作法や習慣などを学びます。元服や婚儀など早ければ10代前半のうちに経験することも多いため、幼いころからスパルタ式で覚え込ませる必要があったわけですね。
城跡は、かつてをしのばせてくれる歴史の証人
一国一城令で廃城になったといえども、現在でも多くの城には歴史的価値のある遺構がたくさん残っています。最近では歴史ファンの方以外にも多くの人が城跡を訪れることも多いですし、ドラマや映画などの影響もあって地域歴史イベントが開催されることもしょっちゅうですね。たしかに人気がある壮麗な大城郭も良いものですが、一見なんの変哲もない苔むした石垣や土盛りなどに、歴史のロマンを感じることも楽しみの一つなのかも知れませんね。
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