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【世界遺産】悠久のロマン、エジプトの「アブシンベル神殿」とは?歴史などわかりやすく解説

アブシンベル大神殿

入り口を見つけて中に入ったベルツォーニ達は、まず中の広さに驚きました。そして内部にほどこされている絵画・彫刻・巨像の芸術に驚かされたといいますね。ベルツォーニは内部気温44度という中で、幾枚ものスケッチをして残したそうですよ。でも埋蔵品がなかったのでガッカリしたのでしょうね。

写真でよく見る入り口には、青年期から壮年期までの4体のラムセス2世像が置かれています。左から2体目の頭部が崩れていますが、これは移転復元した数年後におきた地震によるために崩壊したもので手前にある岩塊がその一部ですね。その前には家族の像が並んでいますよ。

奥にはプタハ神・アメン・ラー神・ラー・ホルアクティ神・ラムセス2世の像があります。像の脚にヌビア遠征に来たギリシャ人傭兵が書いた(古代ギリシャ語)落書きが彫られているそうですよ。いつの時代にもそんな人がいるのですね。

年2回のラムセス2世の生まれた日(2月22日)・王に即位した日(10月22日)には神殿の奥まで日の光が届いて、冥界神であるプタハ以外の3体が明るく照らすようになっているという仕掛けがあったそうです。しかし神殿の移設により現在は日にちがずれてしまったようですね。

壁には、ラムセス2世が戦車に乗ってヒッタイトと果敢に戦っている姿・捕虜を殺害している様子・神々からの祝福を受ける姿・ヒッタイト王の長女との結婚・ヌビアやアジアの捕虜・凱旋の様子などのレリーフがほどこされています。

アブシンベル小神殿

大神殿から100メートル北に行くとある小神殿は、最愛の妻であるネフェルタリ王妃とハトホル女神にささげるために建造されたものです。2人のラムセス2世の像の間にネフェルタリ王妃像が挟まれるというものが2セットあり、それが左右対称になっていますね。

正面の奉納碑文には「偉大なるラムセス2世がネフェルタリ王妃のためにこの岩窟神殿を造った」「永遠に彼女のために朝日は昇る」というラブレターが3500年たった今でも残っているのはロマンティックですね。建造当時にネフェルタリ王妃は病気になっていて、完成の4年後に亡くなったそうですよ。生きているうちに完成してなによりでしたね。

エジプトの神様の紹介

神殿ですので、アブシンベル神殿は神様に捧げた物ですよ。ここで神殿に奉納された神様をはじめ簡単にエジプトの代表的な神様の紹介をさせていただきます。

アブシンベル大神殿
〇プタハ神・鍛治や職人の守護神。上下エジプト統一の神とも。
〇アメン・ラー神・太陽神、天と地の創造者。朝に生まれて日没と共に死ぬを繰り返す永遠の命。
〇ラー・ホルアクティ神・創造神。

アブシンベル小神殿
〇ハトホル神・愛と美と豊穣と幸運の女神。

代表的な神
〇オシリス神・冥界の王。最後の審判をする閻魔大王のような神。
〇イシス神・オシリス神の妻。農耕・豊穣神。ホルス神を抱く姿の壁画は聖母マリアのモデルになった。
〇ホルス神・オシリス神とイシス神の息子。王の象徴。月と太陽の目を持つ天空と太陽の神とも。
〇セト神・荒ぶる砂漠の神。兄のオシリスを殺し、仇討ちにきたホルスと戦う。
〇アヌビス神・死者の守護神。オシリス神の最後の審判の時の補佐をする。
〇トト神・智恵の神

ラムセス2世ってどんな人?

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現代のエジプト人も「古代エジプトの最大の王」「王の中の王」と呼ぶラムセス2世は、24歳で即位して66年もの間エジプトを統治し、90歳で亡くなったといいます。当時の平民の平均寿命は約20~25歳、王族の平均寿命は35歳前後といいますから、かなりの長命ですよね。

おまけに180センチ(古代エジプト人の平均身長は160センチ前後)もある身長で、最愛なる王妃のネフェルタリをはじめ、たくさんの王妃や側室がいて、なんと111人の息子と69人の娘がいたといわれているのですよ。実子説と大半は養子というのがあるようですが、戦士としても有名でしたから血を残したいと思うでしょうから、ほぼ実子だったのではないでしょうか?

ラムセス2世はなにをやった人?

上に書いたような概要ですので、どんな人だったのか気になりますよね。生まれは紀元前1305年、当時の王(ファラオ)の父セティ1世の次男として生まれます。名前の意味は「ラーによって選ばれし者」という意味だそうですね。しかし長男である兄が若くして亡くなったために、セティ1世の死によって26歳の頃王となったのですね。そして66年統治して息子(13王子)のメルエンプタハに王位を譲るのですが、彼はもう60歳過ぎていたといわれていますよ。

治世第5年の紀元前1286年、ラメシス2世は総勢2万の兵を率いてシリアに侵攻してヒッタイトの属国・アムルをおとしました。それに取り戻そうとヒッタイトの「ムワタリ2世」率いる軍勢と激突します。これを「カデシュの戦い」といいますよ。エジプトはヒッタイトの情報戦に振り回されて主力軍団を壊滅させてしまったのですね。そこで、敵にかこまれたラムセス2世が単騎でそれを打ち破ったという伝説の武勇によって、エジプトは奮い立って勝利しますよ。

しかしヒッタイトを完全撃破することができず、長い年戦争を続けることになったのですね。膠着状態からお互い得がないことを悟ったラムセス2世が、第21年(紀元前1269年)世界の歴史最初といわれる「平和条約」を結んで休戦することになったのですよ。この平和条約の証しとしてラムセス2世はヒッタイトの王女を王妃に迎えることになったのですね。

 

ラムセス2世はなにをしていた王?

ラメシス2世は別名「建築王」とも呼ばれていて、同じく建築好きな父・セティ1世の神殿作りの手伝いを王子時代にしていたそうですよ。ラメシス2世が作ったといわれるのはアブシンベル神殿をはじめ「カルナック神殿」「ラムセス2世葬祭殿(ラムセウム)」などですが、それまでの神殿などを造築するなどにも精力的で、ちゃんとサインまで残していますね。

最愛なる王妃のネフェルタリは、ヒッタイトの王女たちをはじめとした王妃など500人もの女性達(日本でいえば「大奥」)を切り盛りして、ラメシス2世の片腕のようになっていたようです。そのために王と王妃が共に描かれることのないはずの時代に、アブシンベル神殿をはじめとした建物の中で、堂々とネフェルタリの像や壁画が描かれているのですね。

「モーゼの十戒」で有名なユダヤ人のエジプト出国の時の王がラメシス2世という話がありますが、実は他の王だったという説もありますね。

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紫蘭