三国時代・三国志中国の歴史

孫堅・孫策の後を継ぎ呉の皇帝となった「孫権」をわかりやすく解説

孫権の死と呉の滅亡

250年、長期にわたった後継者争いは孫和を庶民に落とし、孫覇に自殺を命じることで一応の決着を見ます。最終的に後継者となったのは孫亮でした。252年、孫権が死去すると10歳の孫亮にかわって重臣の諸葛恪が政権を担います。

しかし、諸葛恪が魏との戦いに大敗すると国内で反対派がクーデタを起こしました。諸葛恪は殺され、孫峻が実権を握ります。それ以後も呉では皇族や重臣たちの間で暗闘が繰り広げられ、政治的なクーデタが相次ぎ、国の団結は乱れていきました。

263年、蜀が魏によって滅ぼされて頃、呉の政治はすっかり乱れ切っていました。264年、最後の皇帝となる孫晧は即位すると、逆らう家臣を殺したり、後宮の美女たちに浸りきりの生活を送ります。

280年、魏の禅譲を受け支配地を受け継いだ晋は呉の討伐のため20万の大軍を動員。もはや、孫晧を守ろうというものはほとんどおらず、呉は晋によって滅ぼされました

赤壁で勝利した英雄孫権は晩年の後継者選びの失敗により残念な生涯となってしまった

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若いころは家臣たちをまとめ上げ、大敵である曹操を打ち破った孫権。西の劉備の侵攻も退けて皇帝に即位したころは絶頂期だったのかもしれません。しかし、あまりに長すぎた彼の治世は晩年に後継者争いで乱れてしまいました。名馬も老いては駄馬に劣るということばがありますが、孫権はあまりに長く皇帝でありすぎたのかもしれませんね。

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