住宅の構造改革
明暦の大火の後町民たちは自分の家ができるだけ燃えないような工夫をどんどん凝らしていきます。
例えばこの頃になると土蔵造りという町屋が作られるようになりました。土蔵造りは昔の蔵の様に屋根を瓦葺きの屋根にして軒裏や壁などにしっくいで思いっきり塗り固めておくというものです。こうすることによって木造建築の頃よりもはるかに防火性に優れた家が出来上がりました。
しかし、しっくいで塗り固めたり、瓦を用意するのにはあまり庶民には手が届きません。
そこで町民たちは塗屋造りという桟瓦を代わりに屋根に取り付けて壁などの必要最低限のみの箇所をしっくいで塗っておくという方式がとられました。これでもちゃんと防火対策にはなったそうです。
ちなみに、それでも手が届かない町民は今までの様な木造建築の家にしか住むことができませんでした。明暦の大火以降はこの様な建築を焼屋造りと呼ぶようになるのですが、これは簡単に言えば「火事が起こった時にすぐに焼かれる」というところから来ているんだとか。できれば全て土蔵造りにしたかったとは思いますが、なかなかお金がないんですよね。
しかし、その時にケチったがために火事に巻き込まれる被害を起こしてしまったのです。
明暦の大火は東京の原点を作った
明暦の大火は江戸を燃やした大火事でしたが、この大火事によって今の東京の原点となるいろいろな区割りがなされていくようになります。
明暦の大火はたくさんの被害者を出した悲劇でもありましたが、その一方で東京の歴史を大きく変える原点となったのですね。
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