室町時代戦国時代日本の歴史

戦国時代を熱く生きた「伊達政宗」世渡り上手のヒーローの生涯とは

3-3敵は秀吉だけではなかった

秀吉に対面することを決意した政宗に、実母から一通の手紙が届いたのです。「よく決心なされた。見送りの宴をするのでお越しください。」といった内容でした。ご存知の通り、実母は醜い顔になった政宗を殺してでも、弟小次郎をあるじに据えようと思っていた人物です。母を恋しく思う政宗は内心喜んだものの、冷静な家臣景綱は、「母上様は御方様を殺そうと企んでいる様子。慎重な行動を。」と、政宗に進言しました。

政宗は、宴の席につき御馳走をたらふく食べました。最後の椀を口にした時、味がおかしいことに気付いたのです。その椀の中には毒が仕込まれていました。何もなかったように、席を立ち家来に解毒剤を飲ませてもらい全てを吐き出し一命をとりとめました。身内にも敵がいるなんて…。政宗の境遇には、悲しい気持ちになりますね。

このままでは、伊達家が母上や最上家(母の出身)に何をされるか分からないと政宗は考えました。その夜、弟小次郎の寝間に忍び込み、切り殺しています。さすがの政宗も、自分の運命を恨み涙したようです。

3-4秀吉に会う政宗

政宗は、豊臣家の家来になるため小田原に出向きました。その時の衣装には、誰もがビックリしました。死に装束(白装束)を着て、秀吉の前に参上したのです。サプライズが大好きで派手好きの秀吉に、普通に会ったのでは命が危ない。ここは何かパフォーマンスをして、場を和ませねばと思った政宗の知恵でした。この登場ぶりには秀吉も、「賢い!こやつは使える。」と思ったようです。でも、領地は減らされ、妻は京へ人質に出されています。

この後にも、危機が訪れました。東北の秀吉の領内で一揆が起こったのです。これは、政宗が関与しているに違いないと、身に覚えのない疑いをかけられました。こんな噂がたてば、命の保障はありません。政宗は、弁解するために京へいきます。

この時も政宗は白装束で現れました。それだけではなく、金色の大きな十字架を家来にもたせたのです。もし、「政宗が信じられないのなら、磔にしてください。」といったとか。こんな大きな金ぴかの十字架を携え大通りを歩いた政宗軍の姿には、京の人々も驚きました。でも、逆に世論を味方につけることができたようです。ここでも、秀吉の心を掴んだ政宗は、東北への領地替えだけで御咎めなしでした。

秀吉が政宗の力を恐れたからだという説もあります。「政宗ほどの人物なら、謀反の心を抱けば恐ろしい存在になる。」と思っていたとか。

4.秀吉の死後の政宗

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秀吉が亡くなった後世の中がどうなるのか、腹の探り合いが戦国大名の中で注目されていました。政宗は、家康が台頭するだろうと見ています。戦国大名たちも戦いの世から、安心して暮らせる世の中になることを望んでいたからです。

 

4-1家康を見習い領地のインフラに勤しむ政宗

関ヶ原の戦いはもちろん、秀吉の死後に大坂の陣など全ての戦で、徳川軍につきました。関ヶ原の戦い後の褒美はとっても少なく、元々の58万石に3万8000石が加えられただけでした。

めげなかったのが政宗の賢いところ。江戸のまちづくりをする、家康の姿を見ていた政宗は、我が領地を豊かにして100万石の領地にしようと心に決めていたのです。

まずは、過去に何度も氾濫をおこした最上川の荒れ地を整備することでした。堤防を築き荒れ地を水田に変えたのです。徳川幕府の大名統制は厳しく、63万石の伊達への監視も相当なものでした。財政も破たん状態だったとか。これでは、豊かな国どころか伊達家がつぶれてしまいます。

4-2徳川家に取り入ることも重要

「お家がつぶれては何もかも水の泡。」と考えた政宗は、アホのふりをして幕府の警戒をとくことに専念しました。昔から好きだった狩猟などをして遊ぶ毎日を送り、反抗心がないことを示したのです。政宗が猟でしとめた獲物や鮭の塩漬けなど名産を、将軍や側近たちに頻繁に送り、幕府を支える姿勢をみせています。

仙台米を江戸に送り、人々の支えになり始めたころには、幕府にとって大切な存在になりました。後に、夢だった100万石大名と称されるほど成長できたのです。

晩年の政宗は、心残りがないように、家康の墓参りをしました。その後三代将軍家光に会っています。その時家光は喜び、京から名医を呼んで治療を受けさせ、あらゆる神社に病祈願をしたようです。このエピソードを聞けば、晩年の努力が報われた様子が手に取るように分かりますね。

寛永13(1636)年5月24日に70歳で政宗がこの世を去りました。家光は悲しみ、江戸で7日間、京で3日間、遊び事を禁じ喪に服す命令を出しています。徳川御三家に相当するほどの手厚い待遇でした。

後継ぎ失格といわれた独眼竜・政宗は、現在もみんなから慕われる戦国大名屈指のヒーロー

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政宗の黒い兜は、映画『スター・ウォーズ』のダースベーダ―のモデルになったとか。彼の武将としてのカッコよさは、現代人にも受け入れられています。江戸幕府が開かれた後は、領内の人々のために政を行い家康の死後は将軍家にも頼られる存在になりました。政宗の肖像画は、眼帯をせずに両目を開いた姿が描かれています。これは、本人の希望だったとか…。

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