日本の歴史

日本史の中で活躍した素晴らしい外国人たち5選

日本が大好き!親日家のさきがけ【シーボルト 1796年-1866年】

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江戸時代後期の日本において、最も日本人のために働き、日本のために尽くしたといえばシーボルトではないでしょうか。日本の風俗習慣に魅せられ、死の直前まで日本のことを想っていた彼の人生をご紹介しましょう。

オランダ人だと偽って来日。先進の西洋医学を伝える

ドイツ人だったシーボルトは、当初は軍医として現在のインドネシアに赴任し、そこで日本行きを熱望します。なぜそこまで日本のことを知りたかったのか?理由は不明なのですが、オランダを通じて日本のことが欧米でも紹介されていたのでしょう。それにシーボルトは植物学の研究者でもあったので、日本独自の植物を見てみたいという願望もあったのでしょうね。

鎖国時代の日本は、オランダを含む一部の国としか国交がなかったため、シーボルトはオランダ人だと偽って潜り込むしかありません。下手くそなオランダ語を操るシーボルトに疑いの目が向けられますが、「オランダでも山の方の田舎の出身だから訛りがきつい」ことを理由にうまくかわすことに成功。ちなみにオランダには山などありません。

シーボルトは1824年、オランダ商館付きの医師であるかたわら、出島の外に鳴滝塾を開設し、そこで日本人医師に対して西洋医学の講義を熱心に行いました。後に日本近代医学の祖となる伊藤玄朴や、高野長英など多くの人間がそこで学び、医学の発展に寄与していったのです。

また、オランダ商館長に随行して江戸へ赴き、将軍徳川家斉に拝謁するほか、名だたる大名や研究者たちと交流したことでも知られていますね。

シーボルト事件と再来日

1827年、シーボルトは長崎の遊女との間に女子をもうけました。この女性こそ【楠本イネ】といい、長州の大村益次郎からオランダ語を学ぶかたわら、病理学と産学に精通した産婦人科医師の第一人者になったといわれています。余談ですが、イネの娘である高子はあまりに美しかったために、後世、銀河鉄道999に登場するメーテルのモデルになったとも。

ところが1828年、いったん帰国する際に誤って日本地図を持ち出したことが発覚し、シーボルトは入国禁止処分となってしまいました。俗にいうシーボルト事件ですね。ドイツへ帰国後、日本学の第一人者として名声を得、多くの研究書を執筆しますが、それでも彼の心から日本への憧憬は消えませんでした。

追放処分から30年後、日本が開国し、日蘭修好通商条約が結ばれたことによりシーボルトへの追放令もついに解除されました。翌年にはさっそく再来日し、生き別れたイネとも再会し、長崎の鳴滝で昔の門人らと共に研究に没頭しています。しかし、1863年の英国公使館焼討ち事件の処理に携わるなど、政治的な動きが幕府やオランダ政府に警戒されて、その活動が行き詰まることになったのでした。

その後オランダ政府の命令で、大量の日本コレクションと共にオランダへ帰国しますが、日本の夜明けである明治維新をその目で見ることはありませんでした。しかし、その死の間際まで日本への再訪問を計画していたそうです。

日本に心血を注いで貢献し、また欧米にも日本の魅力を大きく紹介したシーボルト。彼が日本に残した偉大な功績は、やはり賞賛すべきものでしょう。

外国人が日本に与えた恩恵とは

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日本の歴史のターニングポイントとなる出来事には、外国人が関与していることが意外とあるのですね。近代でもクラークやペリー、マッカーサーなどが挙げられますし、日本の歴史のグローバル化というものも昨日今日始まったわけではないのです。過去に日本で活躍した外国人たちのことを、現代の私たちが歴史の1ページをめくって紐解いてあげても良いのではないでしょうか。

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明石則実