幕府の収入は増やしたけど失脚
田沼意次はこのように幕府の財政を増やしたりする一方でほかの幕府の要職に就いていた人からはあまり良い目で見られることはありませんでした。
その理由は何と言っても上に書いた通り、当時日本にはお金を稼ぐのがいやらしいというイメージが強かったということ。「武士の中でもトップである幕府が商人にペコペコするのば無様過ぎる!」と思う人が多数派だったようで田沼の人気は最初からなかったもの同じような状態でした。
さらに、田沼時代には株仲間の設置によって商人から田沼派の政治家に対しての賄賂が横行。時代劇などで「つまらぬものですが」と言ってお金を渡すシーンとありますが、この頃には本当にそんな政治が行われていたのですね。
そのため、田沼時代は「政治をお金で動かしている!」として民衆から猛バッシング。さらに不幸なことにその猛バッシングをしている最中に浅間山という関東では一二を争うほど巨大だった活火山が大噴火を起こし、農業に大打撃を与えてしまいました。
民衆・武士から完全に見放された田沼意次はついに失脚。田沼意次の改革は失敗ではなかったものの完全に成し遂げることができませんでした。
今だからこそ江戸時代を見直そう
江戸時代における改革はほとんどが失敗に終わり、幕府の財政はちょっとは良くなったものの根本的な解決にはなりませんでした。日本におけるこの財政改革は後の世に影響を及ぼしていったということは間違いありません。お金について何かと騒がれている今だからこそ江戸時代の改革を見直すべきだと私は思いますね。
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