日本の歴史江戸時代

動物愛護法の先駆け「生類憐れみの令」は悪法だったのか?わかりやすく解説

殺生を禁じられた武士たち

貨幣経済の発達と共に役人化していく武士たちと違い、この頃はまだ、戦国の頃の遺風を尊重していて、「武勇こそが誉れである」という雰囲気が残っていました。ですので、殺生を生業とする武士たちの存在を否定するかのようなこの法令は、大名や藩士たちの不興を買っていました。

公然と鷹狩は行われなくなり、職を失った鷹匠たちは仕方なく、犬小屋で犬たちの世話をしていたといいます。一般の武士たちも、鍛錬のために行っていた野山での狩猟ができなくなり、不満は増していきました。

水戸黄門で知られる徳川光圀は、そんな状況を見て、綱吉に【死んだ犬の毛皮】を送ったといいます。ある意味当てつけなのですが、綱吉の政策を真っ向から批判することで、綱吉自身の目を覚まさせる意図もあったのではないでしょうか。しかし、それでも綱吉は人々から「犬公方」と揶揄されながらも、「生類憐れみの令」を撤廃することはしませんでした。

あまりにも急ぎすぎた愛護政策

確かに、動物愛護や社会福祉は決して悪いことではありません。しかし、それは現代のように社会的インフラが進み、人々の意識や道徳感が成熟しているからこそ言えるわけであって、当時の価値観からすれば、明らかに行き過ぎた法律であることに違いなかったのです。

ほんの数十年前の日本ですら、動物どころか人間が生きる権利だって蹂躙されていた時期があったわけですから、これが当時の身分社会であれば推して図るべきでしょう。

庶民からすれば、自分たちですら日々食べることに事欠く有様なのに、なぜ犬畜生に食べさせなければいけないのか?なぜ貧しい庶民が苦しんでいるのに、犬がこれほど優遇されているのか?こう考えることも無理からぬことでしょう。

綱吉が誤ったのは、人々のモラルや道徳観などといったものを性急に変えようとした。これに尽きると思います。人々の生活が豊かであってこそ動物愛護の精神も生まれるものだし、弱い者にも優しくなれるのです。いわゆる順序が逆だったということ。彼はそのことに最後まで気付きませんでした。

現代に通じる綱吉の思い

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当時の人々からすれば、悪法だったのかも知れない「生類憐れみの令」。しかし、現代の私たちからすれば、動物愛護や弱者救済は当たり前のことだと考えられていますよね。だからこそ近年の研究では、暗愚な将軍だったはずの綱吉の評価が見直されてきているのです。社会が本来あるべき理想を、350年も前に着想し実行した綱吉。時代が早すぎたとはいえ、綱吉の思いは今に生かされているのではないでしょうか。

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明石則実