きな臭くなるイギリスと清
こうしてアヘンの規制が始まって困るようになったイギリス。最初の頃はイギリスは「欲しい人がいるから貿易して何が悪い‼︎」みたいな今の麻薬密輸人みたいなことを言ってさらに林則徐に対して賄賂を送ろうとしますが、潔白の化身である林則徐はこれを拒否。「賄賂をする人の意見なんか聞くか!はよ中国から出て行け‼︎」と強い剣幕で怒り、イギリスは仕方なくマカオを撤退します。
ちなみに、この時イギリスが貿易で使おうとしていたアヘンをすべて没収し、1400トンにも及ぶアヘンを中和させて石灰に混ぜて海に捨てたそうです。どんだけのアヘンを売ろうとしていたのですかイギリスさん…
それはそうといくらアヘンといっても貿易商品を捨てられてしまってどんどんきな臭くなってしまう清とイギリスの関係。そんな時にさらにとんでもない事件が起こってしまいます。なんと、貿易をしていたイギリス人が中国人を殺害する事件が発生。これに大激怒した清はついにマカオを取り囲み、兵糧攻めにするかのように閉鎖しました。
イギリスがついにキレた‼︎
マカオを清に取り囲まれたということはすぐにイギリス本国に伝わり、清に対して報復攻撃を行う案が急上昇します。
本国では戦争行為に突入する閣議が開催。当時の野党の自由党の政治家であるグラッドストンは「たしかに清を潰したい気持ちはわかります‼︎しかし、アヘンが原因で戦争を起こすとなるとイギリスのイメージに傷が付くんですよ‼︎」と至極真っ当な理由の反対論も出て閣議がでますが、現場のマカオではとっくに清と戦闘行為に入っているということもありこの結果は賛成271、反対262という僅差で可決。清との戦争に踏み切りました。
アヘン戦争の経過
こうして始まったアヘン戦争。しかし、この結果は最初から分かりきっていたもんでした。イギリスは元々海賊行為をして成り上がった国。あのナポレオンですらイギリス海軍には勝てなかったことからも見て取れるようにイギリス海軍は世界最強ともいってもいいほどでした。一方の清は確かに眠れる獅子とは言われたものの、それは陸戦限定のもので海軍の方では主力ですら未だに木の帆船という有様でした。
こんな格差で清がイギリスに勝てるはずはなく、清の戦艦は次々に大破。広州から一気に北上し、廈門や寧波を占領。さらに清の第二の都市である南京にも上陸するなどもうこの時点で清は無理ゲーの状況に追い込まれてしまいます。この事実に焦りまくった当時の皇帝道光帝は急遽イギリスと講和するために林則徐を新疆というところに左遷。代わりに親イギリス派の人を任命してイギリスと講和を結びました。
清に過酷な南京条約
こうしてボロボロになった清。清に待ち構えていたものはあまりにもかわいそうな講和条約でした。
まず清はイギリスに対して貿易商品を没収した分の2100ドルの賠償金と香港を割譲することになります。さらに、港を開いて自由貿易できるようにし、さらに治外法権という「イギリス人がたとえ清で大暴れしても清は裁けない」という過酷な条件も突きつけられました。
さらにイギリス以外のヨーロッパ諸国もこの時から清の弱さに気付き始め、清に対してイギリスと同じように過酷な条件の条約を無理やり結ばせます。その姿は昔『眠れる獅子』と恐れられたあの清はどこにもいませんでした。
アヘン戦争で慌てる日本
アヘン戦争で清が負けたことはお隣の国でもある日本にも伝えられ、日本国内に衝撃が走ります。
元々日本は中国を遣隋使の頃からお手本にしていった国家。江戸時代に入っていくら鎖国しても中国とは関係を結んでいました。日本はこのアヘン戦争の経過とその後の清の惨状を見て「あれ?これからは清ではなく西洋諸国をお手本にすべきじゃね?」と考え始めるようになり、「そうだ‼︎交易をしているオランダから西洋の書物や技術を学んで行こう」という風に江戸幕府はシフトチェンジをしていきます。
アヘン戦争は日本の近代化を早める戦争でもあったのです
アヘン戦争によってアジアが近代化していった
アヘン戦争による清の敗戦は中国だけではなく清に従属していた国に対しても影響を与えていきこれから先清や日本などは急激な近代化を進めていきます。
アヘン戦争という戦争はイギリスが清をボコボコにした戦争でありながらアジアに西洋の衝撃を与えた戦争でもあったのです。