世界が破滅直前になった日「キューバ危機」をわかりやすく解説解説
戦争になるかならないか 緊迫の2日間
1962年10月22日アメリカの大統領であったジョン・F・ケネディはアメリカ国民に対してテレビ放送を行い、ソ連が核ミサイルをキューバに運んでいることに対して海上封鎖することを宣言。もしこのままいけば米ソの衝突は避けられないものになってしまい、最悪の場合核戦争に突入することになってしまいます。アメリカ国内では大混乱。核戦争に耐えるため核シェルターがキューピッチで建設され、さらに食料の確保も各地で頻発する事態が起こります。一方のソ連も海上封鎖するのであれば武力行使も辞さない姿勢をとり、アメリカとソ連はまさに互いに向けて核兵器を向け、戦争する一歩手前まで来てしまいました。
しかし、ソ連の指導者であるフルシチョフとアメリカ大統領のケネディはこのまま戦争に突入すればお互い共倒れになってしまい双方ともにバッドエンドが待っていることはわかり切っています。でも、どこかで蹴りをつけたいのですが今の状態では核を下ろした時点で負け。先制攻撃をされてしまう危険性もあります。そのためアメリカは空軍に対して核ミサイルを搭載するように命令したり、デフコンを2にしたり厳戒態勢を整えていくのですが、その一方で武力衝突を避けるために水面下で交渉も行われていました。
デフコンとは?
デフコンはDefense Readiness Conditionの略でいわゆるアメリカが戦争状態に突入する姿勢を示した指標のことで、1から5までのランクがあります。普通なら5のほうが上に見えますがデフコンの場合はその逆。1に近くなればなるほど危険度が増していきます。ちなみにキューバ危機に出された2は戦闘機を空中待機していつでも戦争ができる状態のレベルでありこれまでこの時しか出されていません。まあ今のところではですけど…
土壇場の譲歩
アメリカが各地の飛行機やミサイルに核兵器を搭載したことによってついに米ソ間の戦争危機はマックスとなりいつ戦争が起こってもおかしくない状態となりましたが、フルシチョフはアメリカがトルコの核ミサイルを撤去するのとキューバに手を出さないのであればキューバの核ミサイルを撤去するとアメリカに通告。ソ連がこの土壇場で譲歩してアメリカもこれを承認。翌日にはキューバから核ミサイルは撤去されアメリカとソ連の戦争状態はなんとか回避されました。まぁ、カストロは納得いってなかったみたいですがね。
冷戦の転換 米ソの雪解けへ
このキューバ危機によって世界は破滅の危機に初めて直面し、アメリカとソ連はこれ以上核開発しても意味はないということをこの事件によって実感させられました。そしてキューバ危機以降アメリカとソ連の間で電話が直接かけられるホットラインを設立。アメリカとソ連の間で直接交渉できるようになり、徐々に思いっきり対立していた米ソ間の冷戦の状態は緩和されていくことになります。
また、キューバ危機の翌年である1963年には初めて核に対する規制が書かれた条約である大気圏内外水中核実験停止条約と部分的核実験停止条約が締結。まだまだ徹底してはいないものの、核ミサイルは徐々に撤去されていくことになりました。
キューバ危機は世界を破滅に使われる最大の危機でもあり、冷戦の重要な分岐点だったのです。