フランスフランス革命ブルボン朝ヨーロッパの歴史

世界を大きく変えたビッグウェーブ「フランス革命」をわかりやすく解説

テニスコートの誓いとバスティーユ牢獄襲撃 フランス革命へ

三部会が機能しないことに愛想をつかした第三身分の議員たちはヴェルサイユ宮殿のテニスコートに集まって憲法を制定してイギリスのような立憲君主制にするまで絶対に解散しないというテニスコートの誓いを行なって国民議会を成立させます。しかし貴族からすればこんなの自分の身分が危うくなってしまうただの不穏分子にすぎません。貴族たちは国王にこのテニスコートに集まった人たちを弾圧するよう強要しました。

これによって貴族と平民の間では一触即発のムードが漂い始めますが、1789年7月11日に貴族の気迫に押されたルイ16世が再びネッケルをクビにします。これについに我慢できなくなった民衆は一斉に蜂起。武器を手に取り火薬庫でもあるバスティーユ牢獄に襲撃して火薬を奪い取って革命が勃発します。

さらに10月5日にパリの女性市民たちが食料を求めてヴェルサイユ宮殿に襲撃。ルイ16世に無理矢理人権宣言を認めさせ、ルイ16世をパリに連行します。これによってルイ14世からの絶対王政が崩壊しました。

国王の逃亡事件

革命が始まりついに取り返しがつかなくなってしまったルイ16世。しかし、彼の妃であり『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』と発言したことでも知られているあのマリーアントワネットの実家であるオーストリアに逃げればなんとか革命から逃れられるかもしれません。ルイ16世は早速マリーアントワネットと一緒にオーストリアに逃亡しようとパリから脱出し、オーストリアに向かって亡命しようとしますが、その逃げる用の馬車に不自然なほどに荷物が載っていたのと、それを怪しんだ人に硬貨の顔のルイ16世と馬車に乗っている人がほとんど同じということに気づかれたことが原因であえなく御用。ルイ16世とマリーアントワネットはパリに連れ戻され、これまで立憲君主制でもいいやと思っていた王党派の人たちに失望されてしまうという逃げる前よりも酷い状態に陥ってしまうという最悪の結果となってしまいました。

しかし、フランス革命の影響を恐れていたこととマリーアントワネットをどうしても守りたいオーストリアがピルニッツ宣言という『もし、ルイ16世やマリーアントワネットに危害を加えたらパリをぶっ潰すからな』脅迫を発表したお陰でなんとかルイ16世は国王としての地位はなんとか守りました。

第一共和政の成立

1792年4月、フランス革命軍はマリーアントワネットの実家であるオーストリアに対し革命を脅かしているのでは、として宣戦布告。フランス革命戦争が始まります。しかし、革命軍はオーストリアに対して敗れ、さらにプロイセンがフランスに侵攻すると敵に内通しているとしてルイ16世とマリーアントワネットを襲撃し幽閉。王権を停止して選挙によって行われる国会である国民公会が開かれました。これによってフランス第一共和政が成立。(ちなみに今のフランスは第五共和政)ついに革命の目標を達成します。

こうして誕生した共和政府ですが、ルイ16世を生かしておけば逆クーデターみたいになってしまい革命が失敗に終わってしまう。そう感じた政府はルイ16世を裁判にかけて議会で死刑判決を下します。こうして9月21日にルイ16世はギロチンにて処刑。さらにマリーアントワネットも処刑されてしまいます。こうしてフランス王国は完全に崩壊し、新しい時代の幕が開かれたのです。

フランス革命のその後

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『国民が国王を処刑した』このニュースは直ちにヨーロッパの国々に広まり、オーストリアやプロイセンだけではなく、イギリスやスペインなどの国々が立ち上がりイギリスを主導とした第一次対仏大同盟が結成されました。この同盟の規模は名前に大が付いているようにかなり凄まじく、フランスの周りが全て敵だらけとなりフランスは一転滅亡の危機に瀕してしまいます。

これに焦りを覚えたフランス国内では大混乱となっていくのですが、次はそんな迷走するフランス第一共和政についてみてみましょう。

恐怖政治の突入

対仏大同盟が結ばれて滅亡の危機に追い込まれたフランス。政府は大規模徴兵を行いますが、これに反対した民衆が一斉に武装蜂起したこともあり、国内情勢はかなり不安定なものとなり革命を起こす以前の方が生活が安定していたと言われるぐらいまで混乱する体たらくでした。

これに怒りが爆発した市民がこれまで政府の主力であったジロント派を追放。代わりにロベスピエール率いるジャコバン派が政治の権力を握り恐怖で国を支配する恐怖政治を実行していきます。

恐怖政治では革命に文句を言った人や反革命的な仕事についていた人を次々と処刑。人権宣言なんてものを真っ向から否定し国家総動員令を出して強制的に軍備を整え、さらに気に入らない派閥を次々と粛清するなど「なんのための革命だったのか」と言いたくなるような政治を行ってしまいます。これにはかつてロベスピエールに期待していた市民たちも失望し、最終的にはテルミドールのクーデターによってロベスピエールは失脚。自身もギロチンによって処刑されてしまいました。

こうして、市民の希望と未来のために行われた革命は一気に沈静化。国民公会が解散し、新たに総裁政府が成立しました。

ナポレオンの登場 フランス帝政に

革命は沈静化して総裁政府が誕生しましたが、この政府も非常に不安定なもので、さらに対仏大同盟を結んでいた国々は今がチャンスとして一斉にフランスに攻めてきました。おそらくフランス国民は「フランスもこれでおしまいか」と思ったはず。しかし、この直後とある1人の軍人がヨーロッパを席巻し対仏大同盟を潰すどころかヨーロッパの大部分を領土化するフランスの黄金期を築き上げていくことになるのです。その軍人の名はナポレオン。フランスは革命を経てこのナポレオンという軍人に未来を託していき、そしてついにはフランスでは共和制ではなく帝政が誕生することになっていくのでした。

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