室町時代戦国時代日本の歴史

前代未聞の鼻毛の殿様・前田利常が鼻毛を伸ばした理由

何をしても幕府に睨まれる前田家

寛永8(1631)年、すでに将軍職を譲り大御所となっていた秀忠が病に倒れました。同じ頃、利常は火災で焼けた金沢城の補修を行い、これを幕府に咎められてしまいます。他にも、他国から船をたくさん買い付けたことが軍備増強とみなされ、やがて謀反ではないかと嫌疑をかけられてしまったのです。これが「寛永の危機」と呼ばれる、加賀前田家にとっての一大事となりました。

利常は、すぐさま嫡男の光高(みつたか)を連れて江戸へ参上し、弁明を行います。家臣たちも嫌疑を解くために奔走し、結果として疑いは晴れたのですが、利常はほとほと参ってしまったのでした。

徹底的にうつけ者を演じ、家を守った利常

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幕府からの重圧や親族との不和など、不安要素ばかりが取り巻くお家の状況に、利常はわざとうつけ者を演じ、幕府の目を逸らすことを決めました。まずは鼻毛を伸ばし、次には江戸城で突拍子もない行動を決め込み、誰もが認めるうつけ者となったのです。その様子はまさにプロのうつけ者でした。

うつけ者を決め込むことにした利常、鼻毛を伸ばす

何をしても幕府ににらまれ、国ではもしかすると弟たちが謀反を起こすかもしれない…それならばいっそ、自分が阿呆になってしまえば、誰も叩こうという気などなくなるのでは。

おそらく、利常はそういう境地に達したのでしょう。

ほどなくして、家臣たちは主君と対面するたびに困惑することになります。

というのも、主君・利常の鼻からは、鼻毛がはみ出していたからでした。

困惑する家臣たちを尻目に、利常は至って真面目な様子でいつも通りの政務を続けます。

「もしかすると、殿は気づいていないのかもしれない?」と思った家臣の中には、そっと手鏡や毛抜きを差し出す者もいましたが、利常は一向に意に介する様子を見せませんでした。

「お前たちと国のための鼻毛だ」by利常

「本格的に殿はうつけになってしまったのかもしれぬ!」と嘆く家臣たち。

すると、利常は彼らを集め、口を開きました。

「お前たちの言いたいことはよーくわかっておる。しかし、この鼻毛こそが、加賀・越中・能登を安泰せしめ、お前たちや領民たちを平和に暮らさせる鼻毛なのだぞ

利常はわざと鼻毛を伸ばしていたのです。うつけ者と呼ばれるなんて、大名にとっては不名誉以外の何物でもありませんが、意図してうつけを演じている彼とすれば、してやったりの心境だったかもしれませんね。

父も従兄弟もうつけ者!?もはやお家芸

実は、前田家はうつけ者とは切っても切り離せない家系です。

利常の父・前田利家は、若かりし頃は織田信長に引けを取らないうつけ者でならしていたとか。また、利常の従兄弟にあたる前田利益(まえだとします/慶次/けいじ)もまた、当代きってのうつけ者だったと言われています。傾奇者(かぶきもの)とも言われていますね。

利益は養子なので直接の血のつながりはありませんが、うつけ者になることはある意味前田家のお家芸だったのかもしれませんよ。

江戸城での奇行(わざと)の数々

やるなら徹底的にやってやろうと利常は思っていたのでしょう。

江戸城に登城しても、奇行を演じ、やがてそれが彼のキャラクターだと周囲に思わせるまでになりました。

ある時、江戸城内に立ち小便禁止の立札を見つけた利常。「違反したら黄金一枚」と書かれていたその立札に向かって、「大名とあろう者が、黄金一枚を惜しんで立ち小便を我慢するものか!」と言い放ち、いきなり立ち小便を始めて、周囲をあぜんとさせたそうです。

 

また、出仕を病欠した利常が登城すると、同僚の大名に「おや、今日は気が向かれたのかな?」と皮肉を言われたことがありました。

すると、利常はやおら袴をまくって股間をさらし、「いやあ、ここが痛くてかなわんのです!」と言ったとか。おそらく鼻毛も伸びていたでしょうし、周りの人はリアクションに困ったでしょうね。

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