メキシコの国旗が意味するものは?国旗から学ぶメキシコの歴史
メキシコの国旗につかわれる色の意味
日本は古くから国旗のデザインが変わっていませんが、世界的にみると、国旗のデザインは政治的に大きな転換があったときに変えられることが多くあります。
メキシコの国旗も、現在のものと同じ色をつかうようになったのは、1821年のときでした。メキシコにとっての政治的な大転換とは、約300年間続いたスペイン支配からの独立です。スペインを倒したメキシコ軍が使っていた旗が、白・赤・緑色のトリコロールでした。メキシコ軍は国の宗教、団結、独立の3つを守ると約束していたので、「3つの約束軍」と呼ばれていました。この3つの約束がそれぞれの色であらわされています。白が「宗教(カトリック教会への信仰心)」・赤が「団結(民族人種の団結)」・緑が「独立(スペインからの独立)」です。
この三色は引き続き使用されましたが、独立後の憲法では、政治と宗教をわけることが決められましたので、色の意味するものは変更されました。今では、白が「純粋さ」、赤が「独立戦争の英雄たちが流した血」「統一の願い」、緑が「独立」「希望」だといわれています。
メキシコの国旗にこめられた歴史と願い
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国旗につかわれた色には、メキシコの独立戦争が関係していることが分かりました。では、国章は、なぜ1300年代のアステカ時代の伝説に基づいたデザインがつかわれているのでしょう?そこには、独立後のメキシコが抱えた問題が深くかかわっています。
独立後のメキシコが抱えた問題
アステカ帝国を滅ぼした後、スペインは約300年もの間メキシコを植民地支配しました。この300年間で、メキシコ国内は、支配者であったスペイン人と主に先住民の混血がすすみ、様々なルーツをもつ人が入り混じった国になっていました。スペインから独立した後、メキシコは自分たちの国を作らなければなりませんでしたが、異なる歴史や考え方をもち、共通するところがない人たちを1つにまとめ、国をつくりあげていくのはとても大変なことでした。
ちなみに、日本は300年にわたる植民地支配こそ経験していませんが、民衆を1つにまとめて国家をつくりあげる経験は同じようにありました。明治時代のことです。江戸時代までの日本は藩が中心で、藩ごとに言葉や文化、政治の違いも大きかったため、民衆の中に「日本国民」という意識はほとんどありませんでした。そこで明治時代は、日本を1つにまとめるために、「万民が等しく天皇の臣(臣民)」という考えを広め、「日本人」として1つにまとめるための政治を行いました。明治維新という名でおこなわれた政策がそれです。ちなみに、今の憲法にも、天皇は日本国民を1つにまとめるためのシンボル(国民統合の象徴)と記されています。
国家をひとつにまとめるシンボル
日本は「天皇」のもとに国家を1つにまとめていきましたが、メキシコはどうでしょう。
さまざまなルーツをもつ人が入り混じるメキシコを1つにまとめるものとして注目されたのが、スペインに征服される前の高度な先住民文明である「アステカ文明」でした。祖先たちは、素晴らしい高度な文明を築いていた、という古い時代の誇りをよりどころに、新たな独立後の道を力強く歩いて行くシンボルとして、アステカはうってつけだったのです。そこで国章には、アステカの神話をモチーフにしたデザインが取り入れられました。
メキシコの国旗からわかること
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三色のカラーリングだけでも、独立までの苦悩や将来の希望をあらわしている国旗はたくさんあります。しかし、メキシコはそこに、アステカの繁栄を約束するシンボルであるワシをあしらいました。「かつてアステカ帝国が、人口が集中しにぎわう華麗な都市であったように、これからのメキシコもこの危機を乗り越えて繁栄してほしい」国旗の真ん中に堂々とそびえ立つワシは、300年もの間の植民地支配からの独立という、決して簡単ではない道のりを歩むメキシコ人の祈りと決意を表現しているのかもしれません。