日本の歴史鎌倉時代

5分でわかる「運慶・快慶」金剛力士立像を作り上げた鎌倉時代のカリスマ仏師をわかりやすく解説

国宝・弥勒如来坐像(奈良・興福寺北円堂)

興福寺北円堂とは、奈良を代表する寺院のひとつ「興福寺」の境内にある八角形の美しいお堂です。

この中に、1212年頃に作られたとされる木造弥勒如来坐像が安置されています。

仏像は1.5メートルほどの高さ。胡坐をかいて右手を少し上げた姿。木造で、金色に彩色が施されています。

弥勒如来とは、弥勒菩薩が56億7千万年後に仏覚を開いて人々を救いにやってくる段階のお姿。力強く、優しいお顔立ちをしています。

こちらも、慶派チームで創作にあたったものと考えられていますが、チームを指揮したのが運慶であったとされており、そのため、運慶晩年の代表作と紹介されることが多いようです。

阿弥陀三尊像(兵庫・浄土寺浄土堂)

兵庫県内陸部の小野市にある浄土寺には、快慶が創作した「阿弥陀三尊像」が安置されています。

浄土寺は、運慶・快慶も関わった東大寺の復興作業の中心人物であった僧侶・重源(ちょうげん)ゆかりの寺院。境内には数多くの文化財が安置されており、現代でも、見どころの多い人気スポットとなっています。

阿弥陀三尊は三体の仏像で構成。中央には5.3メートルの高さの「阿弥陀如来像」。その両脇には高さ3.7メートルの「両脇侍立像(りょうわきじりゅうぞう)」が静かに立つという、日本屈指の巨大三尊像です。

重源は何度か中国大陸(宋)に渡ったことがあるのだそうで、その影響か、快慶も宋の仏画をもとにこの像を作ったといわれています。

こちらの三尊像、お堂の真ん中に安置されていて、なんと後ろ側を見ることも可能。夕方になるとお堂に夕日が差し込み、阿弥陀様が光り輝いて見えるとか。夕方の時間帯を狙って拝観に来る人も多いのだそうです。

仏師として成功を収めた謎多き天才~「運慶・快慶」を思う

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とは裏方の仕事であり、運慶と快慶が活躍していた時代はまだ、仏師の名前が表に出る機会は少なかったと言われています。今でこそ芸術作品として日本のみならず世界中にその名が知られるようになった運慶と快慶。快慶の初期の作品「弥勒菩薩立像」は現在、アメリカ・ボストン美術館に収蔵されています。

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