パンデミック後の経済理論の行方
過去のように経済的な豊かさだけを追い求めることが正しいことかどうかもわからないのです。すなわち、世界的に社会のあり方が変わる可能性があり、資本主義、自由主義というものが変質する可能性もあります。「小さな政府」と「大きな政府」という論争そのものが無意味になる可能性もあるのです。実際に、今回の大規模な財政出動は「大きな政府」論というよりも、それがなければ、国民の生活そのものが守れなくなった結果でとられた政策と言わざるを得ません。
これまでのように、経済的な効率を求めたり、企業間の競争や需要・供給のメカニズムのなかで拡大だけを追い求めるという資本中心の理論が成り立たなくなるかもしれないのです。しかも、今後、日本をはじめ、先進諸国では高齢化社会を迎えるところが多く、社会をどう維持していくのかという問題も生じてきます。
「大きな政府」と「小さな政府」のそれぞれの意味と問題点
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では、歴史的に「大きな政府」と「小さな政府」のそれぞれの理論にはどのような意味と問題があったのでしょうか。それらについて見てみましょう。
古典経済学の「小さな政府」の意味と問題点
もともと、ヨーロッパの17世紀から始まった資本主義は、産業革命のなかで進出した資本家の自由主義への要求に支えられていました。その声を代弁したのがアダム・スミスの「国富論」だったのです。しかし、当時もっとも早くから産業革命が起こって、工業化が進んだイギリスでは、同時に労働者が過酷な環境に置かれ、マルクスの「資本論」なども出されていました。そのため、「小さな政府」論は、労働者に対して選挙権、労働権、自由主義の権利を与えることとセットにされていたのです。
「小さな政府」というのは、労働階級に自由という権利を与える代わりに、企業に対しても政府の資本主義への介入を極力小さくさせようとしたものでした。
ケインズらの近代経済学の「大きな政府」の意味と問題点
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一方、ケインズの近代経済学による「大きな政府」論は、当初は効果が大きかったのですが、財政赤字の累積によって有効需要創出効果はなくなっていきました。産業構造が変化するなかで、公共事業効果はなくなったのです。そのため、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックに対する財政出動は国民に対する直接の資金支援という形をとらざるを得なかったと言えます。
マネタリストの進出の背景
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1970年代後半の民主党のカーター大統領は、社会保険政策を採り、財政支出による社会保険料負担によって大きな財政赤字が生じました。そのため、国債発行による財政赤字を生じさせましたが、その結果として 金利が急上昇し、アメリカは戦後最大の経済危機に陥ったのです。それに対して、マネタリストは、これ以上の財政赤字は米国を破綻させるとしました。景気回復のためには規制を緩和し、中央銀行(FRB)の金融政策とからませた政策をとるべきだと主張し、支持を得たのです。
「大きな政府」と「小さな政府」は国の置かれた環境によって使い分ける必要
現代の世界は、アジアや南米の発展途上国のなかで韓国、台湾、シンガポール、ブラジルなど、産業が発展した国も現れています。しかし、未だに先進国と発展途上国の格差は大きいと言えるのです。しかも、中国、インド、ブラジルのように人口が多いことでGDP規模は大きくなったものの、裕福な層は限られ、貧困層も多い国は多いと言えます。
しかも、後発の国では先進国の投資や国債などによって発展している国も少なくありません。
すなわち、資本主義国では「大きな政府」策は採りづらくなっていると言えるでしょう。先進国でも赤字国債によって景気を維持している国もあります。21世紀に入って拡大したEUでは経済破綻によってギリシャ、ポルトガル、スペインのように財政赤字を抑えざるを得なくなっている国も出ているのです。
したがって、先進国でも置かれた経済・財政環境によって「大きな政府」が可能かどうかはちがっています。大規模な財政支出が可能な国もあれば、日本のように財政赤字が大きく、赤字国債の発行が限られる国もあるのです。その場合には、景気政策は中央銀行の金融政策に依存せざるを得なくなり、「小さな政府」にならざるを得なくなっている国もたくさんあります。