日本の歴史明治

肺結核のため若くしてこの世を去った歌人「石川啄木」の生涯を元予備校講師がわかりやすく解説

啄木の死と立待岬への埋葬

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1911年12月、啄木は腹膜炎と肺結核により発熱が続く苦しい状態でした。翌1912年4月、啄木は東京小石川区久堅町で肺結核のため死去しました。みとったのは妻と父、友人の若山牧水です。葬儀後、節子は遺児二人を連れて実家が移っていた函館に行きます。1913年、啄木は大森浜を望む立待岬(函館山のふもと)に葬られました。今でも、立待岬には啄木一族の墓があります。

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