チェルノブイリの放射線
チェルノブイリの水蒸気爆発によって原子炉の中にあった放射線物質がほとんど流出することになりました。一説にはこのチェルノブイリ原発事故で広島に落とされた原子爆弾の500倍にものぼる放射線物質が空に撒き散らされることになります。そのためチェルノブイリ周辺の秘密都市プリピャチではほとんどの人が被曝。しかし、ソ連はこの事故を隠し続け市民はこのチェルノブイリ原発事故を知らずに日常を暮らしていました。
しかし、チェルノブイリの事故で放出された放射線はこれまでのそれとは大幅に違う放射線漏れであり、プリピャチ市の市民や技術者たちは次々と病院に送られることに。
しかし、ソ連の官僚体質はこの事故をひた隠しにすることを選び住民たちはこの放射線漏れを気付くことはありません。
しかし、もはやこれを隠すことができないと判断したソ連政府はプリピャチ市民に対して避難指示を命令。プリピャチ市民4万5千人は一斉に避難。ソ連政府はこの事故をなんとか抑えようと試みるのです。
北半球への影響
原子炉の放射性物質は爆発した瞬間に空へと撒かれ、北寄りの風が吹いたことにより、ドイツ・フランス・イタリアなどに放射線を含んだ雲が流れることに。
ヨーロッパの国々はソ連から放射線が流れていることをこの時気づくことになり、スウェーデンの原子炉で放射線が検出することでチェルノブイリ原発事故に知ることになります。
ソ連は国際的にも知られることになったチェルノブイリ原発事故を発表。これによって日本などはヨーロッパからの農作物輸入をストップする措置を取ることになります。
チェルノブイリのその後
世界最大級の原発事故となったチェルノブイリ原発事故。この事故は事故が起こってから約30年経ってもその傷をけすことはなかったのです。
石棺の設置
水蒸気爆発によって完全に破壊された4号炉は、放射線がこれ以上漏れない様にするために石棺と呼ばれる構造物で囲って封じ込めることになりました。
しかし、4号炉以外の原子力発電所は未だにキエフに稼働しており、さらには除染がなかなか進まず一応の措置を取ってから石棺を建造することになったのです。
こうして石棺を作ったことによって放射線をある程度緩和させることに成功しましたが、事故からもう30年経ちその劣化が心配されているのが実情となっている。
ゴーストタウンとなったプリピャチ
ソ連政府は事故から36時間後にチェルノブイリ周辺から住民の避難をするように命令。およそ1週間後までにチェルノブイリ原子力発電所から30キロ以内に居住する約11万6,000人が移転させられ、チェルノブイリはゴーストタウンと化しました。このチェルノブイリのゴーストタウンはいまだに続いており、今ではチェルノブイリ周辺は自然豊かな地域となっています。
しかし、30年たった今でもチェルノブイリ原発事故の影響はまだ続いているのが実情。この事故が果たしていつ終わりを迎えるのか?それは誰も分かってはいないのです。
事故はまだ終わらない
チェルノブイリ原発事故は世界に原子力の脅威を与えただけではなく、原子力にどう向き合っていくのかを考える重要なきっかけとなった事故でもありました。
チェルノブイリの大事故でたとえどんなに便利なものでも裏の顔は必ずあるということを忘れないようにしなければなりません。