日本の歴史昭和

日本が降伏していなかった未来…アメリカによる「本土決戦」とは?わかりやすく解説

コロネット作戦

オリンピック作戦によって獲得した九州地方を使用し、その後1946年3月ごろに行おうとしていたのがコロネット作戦でした。

コロネット作戦は予備も含めると30万人が参加する作戦でもし行われていたらノルマンディーよりも規模が大きい上陸作戦となる予定でした。

上陸地点は湘南海岸と九十九里浜となっており、上陸が完了したらそこから一気に首都である東京に進撃する予定だったそうです。

また上陸作戦が行われる2か月前からアメリカ軍による艦砲射撃と空襲によって大規模な破壊を行ないさらにはサリンといった化学兵器の使用も含まれていたそうでさらに予備兵力合わせて107万人の兵士と1,900機の航空機という空前の規模でした。

日本もこの頃になると300万以上の軍をかき集めていたとされているのでもし実現していたのであれば両軍合わせてとてつもない被害が出たとされているのです。

ルーズベルト大統領の死と作戦の中止

ルーズベルト大統領の死去に伴い自動的に副大統領が大統領に昇格し大統領に就任したトルーマン大統領は、ポツダムでの会議中に原爆実験の成功の報を聞いたことで本土作戦を行わずに日本を兵糧攻めにした方が得策だと判断。さらに徐々に対立が深まっていたソ連の日本参戦を阻止するために作戦中止を決定。その後8月15日に日本がポツダム宣言を受け入れたことで戦争は終結しました。

ダウンフォール作戦全体の連合軍側の損害予測はアメリカの将軍の試算ごとでまちまちであり、5万人から50万人とバラバラでしたがもし本土決戦が行われていた場合もしかしたら第二次世界大戦の中でも未曽有の戦傷者数を数える戦闘となっていたことは間違いないと思います。

本土決戦は日本の最悪のシナリオであった

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日本が降伏したことによって本土決戦は起こることはありませんでしたが、もし起こっていたとしたら日本はとてつもない被害を被っていたのは事実だったのかもしれません。

それを考えると今の時代はとても平和だということを実感することができますね。

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