日本の歴史鎌倉時代

武家が朝廷を倒す?日本の歴史を大きく変えた「承久の乱」をわかりやすく解説

鎌倉幕府完全勝利!武士政権の確立

『承久記』(じょうきゅうき・承久の乱の合戦記録)などによると、幕府軍が都に攻め込んできたとき、後鳥羽上皇は朝廷軍の家臣たちの呼びかけにも応じず、御所の中でじっとしていたのだそうです。

そして、こっそり幕府側に使いを出し「今回のことは、家臣たちが勝手にやったことです」とか「院宣は取り消します」とか言い出す始末。さらに、自分のために戦ってきた朝廷軍の武将たちの討伐を命じる院宣を出したり、懸命に保身に走ります。

かくして終わりを告げた承久の乱。あれこれ言って言い逃れできるわけもなく、後鳥羽上皇は隠岐島(おきのしま)に島流し。倒幕に加わっていた皇族や貴族たちも都から追い出され、地方へ飛ばされます。荘園など財産も召し上げられて、かなり厳しい処分が下りました。

この後、朝廷は完全に、鎌倉幕府に手綱を握られてしまいます。幕府は朝廷を厳しく監視。朝廷はいちいち幕府にお伺いを立てる、という構図ができ、時代は武士の時代へ。

承久の乱は、心をひとつにして戦った武士たちの地位を確固たるものにした出来事として、後世に語り継がれることとなるのです。

もし幕府が負けていたら……日本の歴史の大きな転換期「承久の乱」

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北条政子の強い言葉と、朝廷から蔑まれてきた武士たちの熱い思い。この2つが、先行きの見えない戦いに身を投じた武士たちを突き動かしたのだと思います。普通なら、天皇に矢を向けるなど考えられないこと。もし、後鳥羽上皇が武士たちを甘く見ずに念入りに戦の準備をしていたら幕府に勝ち目はあったのだろうか……。ふと、そんなことが頭に浮かびました。

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